白鳥の湖
数日後。
向かいの席でヴァロが眠っているのをちらっと見た後
トイヴォは車窓を見つめていた。
列車は森の中をひたすら進んでいた。
車窓からは無数の大きな木々の姿が見えるだけで、他は何も見えない。
列車はだんだんと森の奥深くへと入っているようだった。
今日は朝からずっと森の中だ。
セントアルベスクまではまだ遠いのかな。
トイヴォがぼんやりと思っていると、列車の走るスピードがだんだんと落ち始めた。
しばらくすると列車はゆっくりと止まった。
トイヴォは車窓を見ると、相変わらず外は森の木々の姿を見せている。
何だろう、また森の中で列車が止まった。
もしかしたらまたモンスターか何かが出たのかもしれない。
トイヴォは不安に思い、席から立ち上がろうとすると
後ろからドアが開く音がして、片手に大きなカバンを持ったアレクシが入ってきた。
「着いたぞ、終点のセントアルベスクだ」
トイヴォの姿を見かけると、アレクシがトイヴォに声をかけた。
トイヴォはそれを聞いて、少し戸惑いながら
「え・・・・・ここが終点ですか?」とアレクシに聞き返した。
「ああ、ここがセントアルベスクだ。長旅だったな。お疲れさま」
アレクシはうなづいて答えると、眠っているヴァロの姿が目に入った。
そしてヴァロの前まで行くと
「おい、ヴァロ。起きろ。終点だぞ」とヴァロの肩を右手で軽くたたいた。
トイヴォは呆気に取られていた。
セントアルベスクが大きい町だと聞いていたので、大きな駅があると思っていたのだ。
そして列車もホームに着くと思っていた。
それが建物も何もない森の中が終点だとはトイヴォは思わなかった。
アレクシがヴァロを起こしていると、後ろからトイヴォが話しかけた。
「あの・・・・本当にここがセントアルベスクなんですか?」
アレクシはトイヴォの方を振り返って
「ああ、ここがセントアルベスクだ。それがどうしたんだ?」
「駅とか・・・・ホームとかってないんですか?大きい街だって聞いていたので」
「ああ、そうか」
アレクシはトイヴォが何を言いたいのか気が付いた。
「この列車は元々、人が乗る列車じゃない・・・・昔は貨物列車だったんだ。
今は商人達が乗り込むんで、今のような列車になったんだが、駅は元々作ってないんだ」
「駅を作ってない?それはどういうことですか」とトイヴォ
「昔はものを運ぶための列車だったから、駅はいらないっていうことだったんだ。
それに今もこの列車に乗るのはほとんどが森で働く労働者か、ものを売りに来る商人。
だから途中駅も作ってないし、ここも作ってないっていうことさ」
アレクシの説明にトイヴォが黙っていると、アレクシはさらに続けてこう言った。
「それに、この列車はセントアルベスクの人達には知られていない・・・・非公式の列車だ。
だから駅もホームも作ってないってことだ」
「非公式・・・・アレクシさんは何のためにセントアルベスクに来たんですか?」
トイヴォがアレクシの手に持っている大きなカバンを見ながら聞いた。
アレクシはカバンを見て
「ああ、これか・・・・セントアルベスクには今回は取引のために来た。
このカバンに入っているものを渡しに来たんだ」
「アレクシさんは商人なんですね」
「ああ。セントアルベスクにはいろんなものがある」
アレクシがそう話していると、後ろからヴァロがフワフワと体を浮かせて姿を現した。
ヴァロは眠そうに右手で目をこすりながら
「また列車が止まってる・・・またモンスターが出たの?」
「違うよ」ヴァロの寝ぼけた言葉に、トイヴォは少し笑って声をかけた。
「セントアルベスクに着いたんだ。そろそろ列車を降りよう」
列車から降りると、3人は列車の先頭へと歩いていった。
先頭に着いてトイヴォが辺りを見回すと、辺りは木々だらけで、建物はひとつも見当たらない。
トイヴォは辺りを見回しながら、どうすればいいのか分からなかった。
ここがセントアルベスクか・・・・・。
どこに行けばいいのか分からない。どうしたらいいんだろう。
トイヴォが困っていると、隣でアレクシが声をかけた。
「どこも森だらけでどこに行ったらいいか分からないだろう?」
トイヴォは黙ってうなづくと、アレクシは辺りを見回して
「街の中心部はもっと遠くにあるんだ・・・・列車は残念ながらそこまでは行けない。
ここから少し右へ行ったところに湖がある。そこはきれいな白鳥が集まる場所だ。
湖の近くにいくつか建物があったはずだから、とりあえずはそこに行けばいい」
「アレクシさんはこれからどうするんですか?」
「オレはこれから取引がある。今から取引先に行くから、2人とはここでお別れだ」
「え、ここで別れるの?列車で会ったばかりなのに」
ヴァロが寂しそうに言うと、アレクシはヴァロに向かって
「セントアルベスクにいたら、また会えるかもしれない・・・それまでお別れだ」
「アレクシさん、湖に行ってみます・・・ありがとうございました」
トイヴォがアレクシに礼を言うと、アレクシはうなづいてトイヴォに右手を差し出した。
「ああ、2人とも元気でな」
アレクシはトイヴォと握手を交わすと、ゆっくりと手を放した。
そして2人に見送られるように、ゆっくりとその場を後にした。
アレクシの姿が見えなくなると、トイヴォはヴァロに声をかけた。
「じゃ、僕たちは湖に行ってみよう」
しばらく森の中を歩いていくと、前の方からバサバサという音が聞こえてきた。
ヴァロは少し驚いたのかびくっとして
「今、何か音が聞こえたけど・・・・何の音だろう?」とトイヴォの後ろで言った。
トイヴォは前を向いて歩いていると、少し先に大きな湖が見えてきた。
湖に白鳥の姿が何羽も見える。
一羽の白鳥が大きく羽根を広げながら、湖の湖面に止まったのを見ると、トイヴォはヴァロの方を向いた。
「ヴァロ、今の音は白鳥が羽根を広げたんだ。モンスターじゃないよ」
「白鳥・・・・・なんだ、白鳥か。びっくりさせないでよ」
白鳥と聞いてヴァロがほっとしながら言うと、トイヴォは前を向いて再び歩き始めた。
湖に出ると、2人は足を止めた。
目の前には大きな湖が広がり、湖面には数羽の白い白鳥が止まっている。
空は少しづつ暗くなっていて、薄暗い雲が広がってきており、雨が降りそうな天気に
なってきていた。
トイヴォは湖全体を見渡した。
数羽の白鳥の群れが、湖面のあちこちにいる。
トイヴォが見ている白鳥だけでも、数えて30羽くらいいるだろうか。
トイヴォは白鳥の数の多さに、違和感を感じ始めた。
白鳥はきれいだけど・・・・どうしてこの湖には白鳥がたくさんいるんだろう。
他の場所で見たことはあるけど、こんな数の白鳥は見たことがない。
「それにしても、ここの湖、白鳥ばかりいるね」
トイヴォが考えていると、ヴァロが隣で白鳥を見ながらトイヴォに言った。
「ヴァロもそう思う?」
トイヴォはヴァロの方を向くと、ヴァロもトイヴォの方を向いてうなづき
「だって、他の場所だと白鳥って、一羽か二羽くらいでしょう・・・・。
それがここだと30羽くらいいるよ。もっといるんじゃないかな」
「うん、何かおかしいと思ってたんだ・・・どうしてこの湖は白鳥が多いのか」
「もしかしたらここに集まって、どこかに行こうとしているのかな」
「それは・・・・・・」
トイヴォがそう言いかけたとたん、空から雨粒が落ちてきた。
雨が降り始めると、トイヴォとヴァロは慌てて湖から離れた。
湖から少し後ろの森の中の木の下に移動すると、トイヴォは辺りを見回した。
「近くに何か建物はない?」
トイヴォの周りをフワフワ浮いているヴァロに、トイヴォが声をかけた。
「ちょっと待って。高いところから見てみるよ」
ヴァロは濡れないように、その場を垂直に高く移動すると、しばらくしてあっという声をあげた。
「何か見つかったの?」
トイヴォは見上げてヴァロに声をかけると
ヴァロはゆっくりとトイヴォのところに降りてきた。
「少し先に大きいお城みたいな建物があるよ」とヴァロ
「じゃ、しばらくそこで雨宿りさせてもらおう」
トイヴォがそう言うと、ヴァロはうなづいて、その場所に向かって歩き始めた。
2人は建物の前にたどり着いた。
建物を見ると、古い城なのか、窓は全て壊れていて、ガラスにひびが入っていたり
割れたところから城の中が見えたりしている。
そこから中を見ると、天井が崩れていて、壁も剥がれており、床はいろんなものが散乱している。
とても人が住んでいるような感じではなかった。
トイヴォは建物を見ながら歩いていると、大きな茶色のドアがあるのを見つけた。
トイヴォがドアをたたこうとすると、後ろでヴァロが言った。
「このお城、誰も住んでないと思うよ・・・・中がとても汚いし、窓も全部割れてるし」
「うん、僕もそう思うんだけど」
トイヴォはうなづきながらも、次にこう言った。
「でも、もしかしたら誰かいるかもしれない・・・・一応確認してみよう」
トイヴォはドアを軽くたたいてみた。
誰か来ないかしばらく待ってみたが、誰も出てこない。
トイヴォはもう一回、ドアをたたいた。
しばらく待ってみたが、誰も出てこない。
本当に誰もいないのかな・・・・。
トイヴォはドアノブを右手でつかんで、手前に引いてみた。
するとドアは静かに、ゆっくりと手前に開いた。
「開いた・・・・・」
トイヴォの後ろにいたヴァロが前に来て、城の中に入っていった。
「黙って中に入っちゃだめだよ」
トイヴォがヴァロに注意するが、ヴァロは黙ったままどんどん中に入って行く。
「こんにちは・・・・誰かいませんか?」
トイヴォは中に誰かいないか、確認するように中に入っていった。
中は薄暗く、灯りはひとつもついていなかった。
トイヴォはすぐ側の壁を見ると、ところどころ壁紙が剥がれている。
天井を見上げると、少し先が崩れていて、猫が入れるくらいの穴が開いている。
天井から下に目を移すと、少し先の壁には細かい石や崩れ落ちた壁のようなものが散乱している。
さっき外から見たところだ・・・・これはもしかしたら本当に誰も住んでいないかもしれない。
トイヴォはそう思いながら歩いていると、足先に何かがぶつかった。
「痛い・・・・・」
トイヴォは下を見ると、分厚い百科事典のような大きい本が、何冊も重なって床に落ちていた。
「大丈夫?トイヴォ」
その場に座って止まっているトイヴォに、ヴァロが心配そうに近づいて声をかけてきた。
トイヴォは床に散らばっている本を見ながら、靴を脱ぎ右足の指先を押さえて
「大丈夫・・・・・こんなところに本があるなんて見えなかったよ。それにとても暗いし」
ヴァロはトイヴォが押さえている指先を見ながら
「ケガしてるの?大丈夫?」と心配そうに見ている。
「ぶつけただけだから大丈夫だよ」
トイヴォは首を振りながら、指先を押さえていた右手をそっと放した。
そしてヴァロの方を向いて
「ところで何かあったの?」と聞いてみた。
ヴァロはそれを受けて上の方を見上げながら言った。
「さっき、上の方を見てきたんだけど、灯りがある部屋があったよ」
「本当?」
灯りがあると聞いて、トイヴォは思わず身を乗り出した。
ヴァロはうなづいて
「うん、でもちらっと見えただけだけど・・・・もしかしたら上に誰かいるかも」
「そうなんだ。でも・・・・上にはどうやって行くんだろう」
「向こうに階段があるよ」
ヴァロが右奥の方を向くと、つられるようにトイヴォも右を向いた。
すると、右奥に上へ続く階段があった。
大きい階段だが、崩れているところがあり、1人ならかろうじて上へ行けるくらいの
状態の悪い階段だった。
ヴァロは階段を見ながら
「上がってみる?もし不安だったら僕がもう一回行って見てみるけど」
トイヴォは靴を履くと立ち上がって
「なんとか上がれそうだから、行ってみるよ」と階段に向かって歩き始めた。
ヴァロがトイヴォに案内するように、トイヴォの前をフワフワ浮きながら階段を上がっていく。
「崩れてるところがあるから気を付けてよ」
ヴァロは下の階段を見ながら、トイヴォにそう言った。
トイヴォは階段を見てみると、石の階段で、左端にひび割れがあるところがある。
少し先の階段を見ると、左端が途中で崩れている。
右端の壁側を見てみると、上まで崩れておらず、なんとか上の階まで登れそうな感じだった。
右端を行けばなんとか上に上がれそうだ。
トイヴォは体を右端に寄せて、壁に右手をついた。
そして階段にひびがないか、階段をよく見ながらゆっくりと階段を上って行った。
しばらくして、トイヴォはようやく2階へとたどり着いた。
辺りを見回すと、左側の少し先に、外に通じるバルコニーが見えた。
バルコニーをよく見ると、姿は見えないが、右側にかすかな灯りがついているのが見える。
バルコニーに誰かがいるかもしれない。灯りがついてる。
でも、雨が降ってるのに、どうしてわざわざ外に?
「ヴァロが見た灯りはあれなの?」
トイヴォは後ろにいるヴァロに聞いてみると、ヴァロはうなづいて
「うん、外に誰かいるかもしれない・・・・ここからは見えないけど」
「バルコニーに出てみよう。誰かいたらしばらく雨宿りさせてもらうようにお願いするんだ」
トイヴォはバルコニーへと歩き始めた。
トイヴォがバルコニーに出てみると、雨は小降りになっていた。
空はまだ雲に覆われているがすっかり暗くなり、夜になろうとしているところだった。
トイヴォは灯りが見える右側を向いた。
少し先に、1人の男性らしい後ろ姿が見え、その足元にランプがあった。
その男性は背が高く、黒いジャンパーを着ていて、黒いズボンを履いている。
「こんにちは」
トイヴォは男性に向かって声をかけた。
男性は後ろを振り向いたとたん驚いたような表情を見せた。
そして何かを言いかけると、トイヴォが先に口を開いた。
「驚かせてしまってごめんなさい。雨が降ってきたので、雨宿りするところを探していて。
森の中を歩いていたら、ここを見つけて入ってしまいました。しばらくの間雨宿りさせてもらえませんか」
話を聞いた男性はしばらくしてから言った。
「・・・・雨が降っている間と言っても、もうすぐ夜になる。今夜はどこか泊まるところがあるのか?」
「いいえ、ありません。それに・・ここには来たばかりで何も分からないんです」
トイヴォが首を振ると、男性はトイヴォの姿を見て
「そうか・・・・なら今夜はここに泊まればいい。でも何もないところだ」
「ありがとうございます」
トイヴォは頭を下げてお礼を言うと、男性はトイヴォに近づいた。
「ところで誰かと一緒なのか?」
「僕もいるよ」
男性の問いかけに、トイヴォが答えようとすると、トイヴォの後ろからヴァロが出てきた。
男性はヴァロを見て
「2人か・・・・分かった。何もないが、今夜はゆっくりするといい」
男性は2人を城の中に入れようと、その場を歩き始めた。
「雨に濡れるから、そろそろ中に入った方がいい・・・風邪引くといけないから」
男性は2人にそう声をかけると、城の中へと入ろうとした。
トイヴォとヴァロも、男性の後に続いて、中へ入ろうと歩き始めた。
すると、後ろからバサバサという羽根の音が聞こえてきた。
男性が後ろを振り向くと、一羽の白鳥がバルコニーに今から降りようとしているところだった。
男性につられるように、トイヴォとヴァロも後ろを振り向いた。
「白鳥だ・・・・・どうしてこんなところに?」
ヴァロが白鳥の姿を見るなり言うと、男性は慌てて、2人の前に移動した。
「ここにも白鳥が来ることがある・・・・早く中に入るんだ」
「でも、さっき湖で見た白鳥よりもきれいだよ」
ヴァロは男性の背丈よりもフワフワと高く浮いて、白鳥が降りるところをじっと見ている。
トイヴォはそれを聞いて
「本当だ・・・湖で見た白鳥よりとても白くてきれい」とその場から白鳥をじっと見ている。
「白鳥はいいから、早く中に入るんだ」
男性は慌てて2人に中に入るように言うが、2人はその場を動かずにじっと白鳥を見ていた。
そんな中、白鳥がバルコニーに降り立った。
降りたとたん、白鳥の体が白い光に包まれた。
ま、眩しい・・・・・明るすぎて何も見えない。
トイヴォはあまりにもの眩しさに思わず目をつぶった。
バルコニーは白い光に包まれて、しばらく何も見えなくなった。
しばらくすると、白い光が消えた。
トイヴォが目をそっと開けてみると、バルコニーには白鳥ではなく、1人の女性の姿があった。
その女性は背が男性と同じくらい高く、金髪で髪を後ろに束ねている。
透き通るようなブルーの瞳で、とてもきれいな顔立ちをしており
白いドレスを身にまとっていた。
トイヴォはたった今起こったことに驚いていた。
白鳥から女性に変身するなんて、誰が想像しただろう。
ヴァロも何も言えずに、大きく目を見開いて驚いている。
驚いている2人を見た男性は、女性に向かって声をかけた。
「今夜は来るのがちょっと早すぎたかもしれない・・・・珍しくお客さんがいる」
「え・・・・・本当だわ」
女性はトイヴォとヴァロの姿を見た。
2人の姿を見たとたん、最初は少し驚いていたが
すぐに平然とした態度で、男性に向かってこう言った。
「でも、私は平気よ。何とも思わないわ。あなたの方がむしろ怖がっているみたい」
「それはそうだろう?僕以外、誰も君を見たことがないんだから・・・・」
男性が女性に向かって話をしていると、トイヴォが割り込むように話しかけた。
「すみません・・・・・何が起こったのか、話を聞かせてもらえませんか?」
男性と女性は何も言えず、バルコニーには雨音だけが聞こえていた。
4人は城の1階まで降りてきた。
男性が右手に持っているランプを下に降ろすと、床に散乱している岩や石、崩れた壁が
ランプの灯りに照らされて見えた。
「まだ1階はきれいに片づけていないのね」
女性は辺りを見回していると、男性はそれを受けて
「まだ2階の部屋を片付けたばかりで、まだここは何もやってないんだ・・そのうち片付ける」と
床に落ちている分厚い本を1冊、拾い上げた。
そして本についているほこりを手で払うと、再び床に置き
「本の上でよかったら、ここに座ればいい。床に直接座るよりはいいはずだ」と女性に言った。
女性はいいと言うように首を振って
「私は立ったままでいいわ・・・・ところで、この人達はどうしてここへ?」
とトイヴォとヴァロを見た。
「僕がこの人に頼んで、今夜泊めてもらうことになったんです」
すかさずトイヴォが答えた。
「本当は雨宿りのつもりで、少しの間だけ居させてもらうつもりだったけど」とヴァロ
男性はうなづいて
「この2人は今日、セントアルベスクに着いたばかりで何も分からないんだ。
それに今よりも強い雨が降っていたし、もう夜になりそうだったから、今夜は泊まったほうがいいと思ってね。
それに君はもっと遅く来ると思っていたから」
「私が思っていたよりも早く来たから、こういうことになったって言いたいのね」と女性
男性は慌てて
「そ、そんな・・・・誰もそんなこと言ってないじゃないか」と困った顔をしている。
「それより、さっきのことを教えてもらえませんか」
トイヴォが女性に向かって言うと、女性はしばらくしてからうなづいた。
「・・・・分かったわ。それじゃ、どうして私が白鳥になったのか話をするわ」
「またその話か・・・・・」
女性がトイヴォとヴァロに話を始めようとすると、横から男性がつぶやいた。
女性は男性の方を向いて
「またって・・・・この人達に話をしないと分からないでしょう。
それにあなたにも話を聞いてもらいたいの。自分が何者なのかを確かめるためにね」
「そう言って、何度も同じ話を聞いたけど何も思い出せなかった」
男性はゆっくりと階段に向かって歩き始めた。
「そう言って、また話を聞かないで逃げるつもりなの?」と女性
「もう何度も同じ話は聞き飽きたんだ・・・申し訳ないけど僕は上に上がるよ」
男性はゆっくりと階段を上り始めると、女性は何も言わず、軽くため息をついた。
「大丈夫ですか?後を追わなくて」
気まずそうな雰囲気の中、トイヴォが女性に話しかけた。
女性はいいわと言うように首を振って
「大丈夫よ・・・・話が終わったら、上に上がってみるわ」と微笑みを見せた。
「あの人とは・・・・前から知り合いなんですか?」
「あの人・・・、エリアスのことね。まだ名前を名乗っていなかったのね」
女性は男性が名前を教えていなかったと知ると、トイヴォははっとして
「そういえば僕もまだだった・・・・僕はトイヴォと言います」
「僕はヴァロだよ」
ヴァロがトイヴォの前にフワフワと浮きながら女性に言うと、女性はヴァロを見て
「ヴァロとトイヴォね・・・・とてもいい名前だわ。それにかわいい」と
右手でヴァロの小さな手にそっと触れた。
握手をしたヴァロは照れながら
「か、かわいいだなんてそんな・・・・よろしく」と顔を赤くしている。
続けてトイヴォと握手をすると、女性は話を始めた。
「私の名前はソフィア・・・・セントアルベスクの王女なの」
「え・・・・セントアルベスクの王女?」
ソフィアの言葉にトイヴォが驚いていると、ソフィアはうなづいて
「そう・・・・今2階にいるエリアスは、隣国のタンデリュートの王子なの。
エリアスと私は近いうちに結婚するはずだったの。でも、この城で悪夢のようなことが起こってしまって
今の状況になったの」
「え・・・・あの男性、王子様だったの?」と驚いているヴァロ
「ここで一体、何があったんですか?」
トイヴォに聞かれ、ソフィアは辺りを見回しながら話し始めた。
「この城で婚約披露パーティーがあったの・・・・ついこの間のことだったわ」
婚約披露パーティー当日の夜。
城にはたくさんの貴族達がソフィアとエリアスの婚約を祝おうと集まっていた。
城の1階では、白い衣装に身を包んだオーケストラが音楽を奏で
音楽に合わせて、招待された貴族達が豪華なドレスを身に着けて踊っていた。
別の部屋では、料理人が料理の準備をしたり、世話人が招待客に飲み物を運んだりと
慌ただしく動いていた。
1階の奥には大きな椅子が2つ並んでおり、そこにはセントアルベスクの王と女王が
前で踊っている貴族達を見ている。
城の外では、周辺に住む住民たちが城の窓からこっそりと中の様子を覗いていた。
音楽が途絶えると、貴族達は両端に移動した。
奥の階段から、白を基調とした衣装に身を包んだ、エリアスとソフィアがゆっくりと降りてくると
大勢の人達はいっせいに2人を見つめていた。
2人が部屋の中央まで移動すると、再び音楽が鳴り始めた。
エリアスはソフィアの右手を取ると、ソフィアは左手でスカートの裾を持ち、軽く頭を下げた。
そして左手をエリアスの右肩にそっと添えると、ゆっくりと2人でダンスを踊り始めた。
2人の周りを囲むように、貴族達が踊り始めた。
しばらくしてそろそろ音楽が終わろうとした時、城の入口のドアがいきなり大きく開かれた。
突然の大きな音に、踊っていた貴族達はもちろん、オーケストラの動きが止まった。
音楽がいきなり途絶え、みんながいっせいに後ろを向くと、1人の男がゆっくりと
城の中に入ってきた。
その男は黒髪の短髪で、服も靴も全て黒色で、黒いマントを身に着けていた。
気味の悪い人物に、周りにいた貴族達はその男を避けるようにして見ていた。
そしてエリアスとソフィアの前でゆっくりと足を止めたとたん
エリアスはその男の顔を見て驚いた。
「お前は・・・・・ヴィルホじゃないか!」
「昔はヴィルホっていう名前だったが、今はそうではない」
エリアスが驚いていると、ヴィルホは気味の悪い程の低音でそう答えた。
「エリアス、この人は・・・・・」
「ヴィルホだ。自国の兵士で、昔からの知り合いだ」
ソフィアが目の前のヴィルホを見ながら、エリアスに話しかけると、エリアスはそう答えながら
ヴィルホの周辺に漂う、黒い霧のようなものを見ていた。
あの黒い霧は・・・・何か不吉な、嫌な予感がする。
エリアスがそう思いながらヴィルホの様子を見ていると、ヴィルホの後ろから
1人の兵士が、ヴィルホに向かって剣を向けてきた。
すると、ヴィルホは素早く後ろを振り向いた。
振り向いたと思った瞬間、ヴィルホから黒い霧がその兵士に向かって襲いかかった。
黒い霧は大きな長い剣になり、襲った兵士の体を貫通した。
兵士が大きな声をあげて倒れると、あちこちから大きな悲鳴が聞こえてきた。
「ヴィルホ・・・・・いや、ヴィルホじゃない。お前は一体何者だ?」
エリアスはヴィルホに向かって聞くと、ヴィルホはエリアスの方を振り向いた。
「私はヴィルホではない。この世界を支配する闇の魔王だ」
エリアスは腰に着けている剣を手に取った。
「闇の魔王・・・・・一体、このセントアルベスクをどうするつもりだ」
「この世界を支配するのだ。まずこのセントアルベスクを私のものにする」
ヴィルホは自分の体から黒い霧をさらに出し始めた。
「ソフィア、逃げるんだ」
エリアスの後ろで寄り添っているソフィアに、エリアスは危険を感じ声をかけた。
ソフィアは心配そうにエリアスを見ている。
エリアスもソフィアの顔を見て
「僕は大丈夫だ・・・・・だから今のうちに逃げるんだ」
エリアスに言われ、ソフィアは戸惑いながらもゆっくりとエリアスから離れていった。
ソフィアの姿が見えなくなると、エリアスはヴィルホに剣を向けた。
「セントアルベスクをお前のものにはさせない・・・・」
「抵抗するだけ無駄だ」
ヴィルホは黒い霧を出し続けながらエリアスに言った。
「私の力は無限だ。お前の命などあっという間に消えてしまう。
さっきのあの兵士の戦いを見ていなかったのか?お前の命を奪うことなどたやすいことだ」
「そんなことはない!」
エリアスはヴィルホに向かって剣を向けたまま、ヴィルホに立ち向かって行った。
すると黒い霧は、エリアスの剣先を包み込んで、エリアスの動きを抑えた。
エリアスは剣を黒い霧から抜こうとするが、恐ろしい力で押さえ込まれ、全く動かない。
エリアスは剣をあきらめ、手から剣を放し、素早く左側に動いた。
ヴィルホから別の黒い霧がエリアスのいた場所に放たれ、もう少しでエリアスは黒い霧に
包まれるところだった。
エリアスは持っていた短剣を取り出した。
ヴィルホはエリアスの剣を床に落とすと、エリアスの方を向いた。
そして黒い霧を放とうとした途端、エリアスは動きを読んで今度は右へと動いた。
しばらく同じような動きが続き、エリアスはヴィルホの動きを見ながら
どうすればいいのか様子をうかがっていた。
あの黒い霧さえなければ・・・・・。
エリアスはヴィルホの姿を見ていると、黒い霧がヴィルホの背後からは出ていないことに気が付いた。
ヴィルホの背後にうまく行ければ、勝機はある。
エリアスはヴィルホの動きを見ながら、いつヴィルホの背後に行くかタイミングを見計らっていた。
ヴィルホはなかなか攻撃してこないエリアスに声をかけた。
「もう攻撃してこないのか?お前の力はそんなものなのか」
エリアスはヴィルホの動きを見ながら
「お前こそそう言って、なかなか攻撃してこないじゃないか」
「それとも、おじけづいたのか?今から私の仲間になるなら、命だけは助けてもいい」
「誰もお前の味方にはならない・・・・こっちから願い下げだ」
するとヴィルホはいきなり大きい黒い霧を、エリアスに向けて放った。
もう少しでエリアスの体に黒い霧が届くかというタイミングで
エリアスは素早く左に動き、黒い霧から逃れた。
そしてさらに体を低くして、うまくヴィルホの背後に移動することができたエリアスは体を起こし
そのままヴィルホの背中に向けて、短剣をかざして下ろそうとした。
その時だった。
ヴィルホの背中から、黒い霧が出て、エリアスの顔を包み込んだのだ。
エリアスは突然目の前が真っ暗になり、持っていた短剣を床に落とした。
エリアスの姿はたちまち、黒い霧に包まれた。
しばらくして黒い霧がなくなり、その場にエリアスが倒れると、あちこちから悲鳴が聞こえてきた。
「今からセントアルベスクは私のものだ!」
ヴィルホが気味の悪い声で、大声でそう叫ぶと、貴族達は慌てて城の外へ出ようと出口に向かって逃げ出した。
ヴィルホは逃げ惑う貴族達を見ながら
「逃げても無駄だ。お前達は今日から私の言うことを聞いてもらう」と体から出ている黒い霧を両手で包み込んだ。
そして両手を開き、黒い霧の固まりができると、それを逃げ惑う貴族達に向けて放った。
ヴィルホが放った黒い霧はまず城にいた貴族達を包み込んだ。
女性達は黒い霧がなくなると、白い白鳥の姿に変えられた。
男性達は黒い上下の服に変わると、女性達のあまりにも変わりように
恐ろしくなり、仕方がなくヴィルホに従うようになった。
ヴィルホの黒い霧を受けたのは貴族だけではなかった。
黒い霧は城の外にも漏れ出て、城の外で中の様子を見ていた周辺の住民達も、女性は全て白鳥に変えられた。
男性は白鳥になった女性達を見て、ヴィルホに服従せざるを得なかった。
「・・・・それで、ソフィアさんは白鳥になったんですね」
ソフィアの話が途切れると、トイヴォは静かにそう言った。
「でも、エリアスさんが逃げろって言った時に、城から逃げたんじゃなかったの?」
ヴァロがソフィアに聞くと、ソフィアはうなづいて
「確かに、逃げようとすれば逃げれたかもしれないわ。父と母はあの時、もうここにはいなかったから」
「じゃ、どうして逃げなかったの?」
「エリアスを失いそうで、怖かった・・・だから周りの人達に紛れて、戦いをずっと見ていた。
エリアスが倒れた時、どうすればいいのか分からなかったわ。そんな中、周りの人達がいっせいに
逃げ始めて・・・・気がついたら白鳥になっていたの」
「でも、今は人間の姿ですよね。どういうことなんですか?」
トイヴォがソフィアの姿を見ながら聞くと、ソフィアはトイヴォの顔を見ながら
「私もそれは分からないわ。ヴィルホの魔法が夜の間だけ、解けるのかもしれない。
それを知ったのは白鳥になってから、次の日の夜だった。
夜になって、この近くの湖で一緒にいた白鳥が次々と人間の姿に戻って行くのを見たわ。
そのうちに私も元の姿に戻ったの。でも、夜明けになるとまた白鳥の姿に戻ってしまった」
そして続けて
「人間の姿に戻った時、すぐにここに来たわ。エリアスに会いに来たの。
でも、ここに倒れていたはずのエリアスの姿はなかった・・・・・。
エリアスが生きていると信じて、私は森の中をあちこち探し回ったわ。
それで、ある日の夜、この城のバルコニーで笛を吹いているエリアスを見つけたの。
私は嬉しくなって、バルコニーに降りてエリアスに話しかけてみたわ。
でも、あの人は・・・・・・私のことを覚えていなかった。記憶を失っていたのよ。
タンデリュートの王子だということも、私と婚約しているということも・・・・」
話し終えると、ソフィアはその場に座り込んで下を向いて、顔をうずめて泣き始めた。
話を聞いたトイヴォは、今まで起きた異変を思い出していた。
もしかしたら今までの異変は、ヴィルホという男が原因かもしれない。
いいや・・・ヴィルホではなく、ソフィアの話だと闇の魔王の仕業なのかもしれない。
「ソフィアさん・・・・僕に何かできることはありませんか」
泣いているソフィアに、トイヴォはそっと声をかけた。
ソフィアは顔を上げ、トイヴォを見た時、トイヴォの服の間から青い石が見えた。
ソフィアは思わず驚いて
「そ、その青い石・・・・・どうしてあなたが持っているの?」
「え・・・・?この青い石ですか?」
トイヴォは少し戸惑いながら、青い石を服から出して、ソフィアに見せた。
ソフィアは青い石を見ながら
「この石は・・・・もしかしたらセントアルベスクに昔から伝わる、伝説の石かもしれないわ」
「伝説の石だって?」
それを聞いたヴァロは驚いていると、ソフィアはうなづいた。
「昔、セントアルベスクが危機に襲われた時、青い石を持った勇者がやってきて、その危機を救ってくれたの。
しばらくの間、その石はセントアルベスクにあったみたいだけど、いつの間にかなくなっていたみたいなの。
古文書にはこう書いてあったわ。「青い石を持った勇者が舞い降りる時、世界は救われるだろう」って」
ソフィアの話を聞いて、トイヴォは思い出していた。
そういえば、あの森の和尚様も同じようなことを言っていた。
でも、この石が世界を救う石だなんて・・・・・・。
トイヴォが戸惑っていると、ソフィアは何かを思いついたのかはっとして言いかけた。
「そうだわ・・・・」
「・・・どうしたんですか?」
トイヴォがソフィアに聞くと、ソフィアはトイヴォの顔を見てこう言った。
「もし、その石が本物だったら・・・・失ったエリアスの記憶をとり戻せるかもしれないわ」
「え・・・?でも、どうやってエリアスさんの記憶を戻すんですか?」
「それは分からないけど・・・お願い。その青い石を使ってエリアスの記憶を取り戻してもらえないかしら」
トイヴォはソフィアの言葉を聞いて戸惑った。
「え、そ、それは・・・・」
「難しいことは分かってるわ」ソフィアはゆっくりと立ち上がった。
「でも、まずできることからやってみたいの。少しでも可能性があれば何でもやってみたいの。
トイヴォ・・・お願い、力を貸して」
ヴァロはフワフワ浮きながら、トイヴォの前に移動して言った。
「トイヴォ、やってみようよ。その石なら、もしかしたら世界を救えるかもしれないよ」
トイヴォは自分が持っている青い石が、世界を救う石なのか信じられなかった。
これは違う。これは亡くなった父さんが持っていた石だ。
心の中でトイヴォはいったん否定したが、今までの旅の出来事を同時に思い出していた。
ポルトで誘拐犯に襲われそうになった時、持っていた青い石が突然光ったことを思い出した。
その光で誘拐犯の動きが止まったことも。
ノエルの両親が住む町では、この石はセントアルベスクにある鉱石だということも。
その鉱石は、凄まじい力を秘めているということも。
ソフィアとヴァロが黙ってトイヴォを見ていると
トイヴォは静かに口を開いた。
「・・・・・分かりました。この青い石が伝説の石なのか確かめましょう」
「ありがとう、トイヴォ」
ソフィアは嬉しそうに微笑みながら、思わずトイヴォに抱きついた。
トイヴォはいきなり抱きつかれて驚きながら
「で、でも、本物じゃなかったら・・・・・・・」
「それは・・・その時にまた考えましょう」
ソフィアはトイヴォから離れると、壊れた窓の方を振り向いた。
窓の外はすっかり雨が止み、空には雲の姿が消えて、無数の星が出ていた。