雨宿り
「じゃ、また明日ね」
薄曇りの空。
高校の授業が終わり、ミサキはクラスメイトの友人と別れた。
友人の姿が見えなくなると、ミサキは家に帰ろうと左を向いて歩き始めた。
また、あの家に帰るのか。
ミサキは憂鬱になっていた。
ミサキは悩みを抱えていた。
家庭の都合で、もしかしたらこの町を離れることになるかもしれないからだ。
まだそうと決まったわけではないが、ミサキはまだそのことを誰にも言えなかった。
ミサキはこの町から離れたくなかったからだった。
どうして親の勝手な都合で、この町から離れなきゃいけないんだろう。
一人暮らししたいって言っても、どうせ反対される。
どうすればいいんだろう・・・・・。
下を向いて歩いていると、ミサキの頭にポツリと雨粒が落ちてきた。
雨・・・・・・?
ミサキが空を見上げてみると、空はいつの間にか真っ黒に変わっていた。
大きな雨粒がだんだんと落ちてきて、たちまち地面を打ちつけるような大雨になった。
どうしよう、こんな大雨になるなんて。傘持ってきてないよ。
ミサキは慌てて走り出した。
辺りを見回しながら走っていくと、少し先に公園の入口が見えた。
公園の手前の右側に大きな洋館が見える。
洋館の玄関には大きな屋根があるのが見える。
あそこでしばらく雨宿りさせてもらおう。
ミサキは洋館へと走って行った。
洋館の玄関前に入るとミサキは空を見上げた。
空は真っ黒で、相変わらず大雨が大きな音をたてながら地面を打ちつけている。
こんなに雨が降ってるんじゃ、しばらく止まないかな・・・・・。
そう思っていると、目の前に同じ高校の制服を着た男性が玄関前に入ってきた。
誰だろうと思って男性の顔を見たミサキは驚いた。
クラスメイトのハヤトだった。
「ハ・・・・・ハヤト!?」
ミサキが驚いて声をあげると、ハヤトはその声に反応してミサキを見て驚いた。
「あれ、ミサキじゃないか!どうしたんだこんなところで」
「傘持ってないから雨宿りしてるのよ」
「オレもだ」ハヤトは制服についた雨を両手で払っている。
ミサキはハヤトを見ながら
「今日、部活じゃなかったの?」
「そのつもりだったんだけど、急に顧問の先生が緊急の用事で帰ったから中止になった」
「緊急の用事?」
「なんだか知らないけど、そう言ってた。他のメンバーもさっさと帰っちまったし。
メンバーがいないと練習もできないから帰ろうって思って」
「そう・・・・・」
「ところでミサキは?部活は何もやってないのか」
「うん、まあね・・・・・・」
ミサキがそう答えると、2人の間が静かになった。
しばらくの間、2人は黙ったまま空を見上げていた。
大雨はまだ続いていて、すぐには止みそうにない。
ど、どうしよう・・・・・・。
ミサキは困っていた。
ミサキはハヤトのことを前から気になっていた。
ハヤトはスポーツ万能で、クラスでも目立つ存在。
部活でサッカーをやっていて、クラスでも学校中でも人気のある生徒だった。
ハヤトの周りにはいつも他の生徒がいて、ミサキはなかなか気軽に話しかけることが出来なかった。
話しかけるにも、何か用がない限り、話をすることはなかった。
それが、今は2人きりで一緒に空を見ている。
せっかくのチャンスなのだが、ミサキはどうすればいいのか戸惑っていたのだ。
やばい、なんだかドキドキしてきた。
何か話をしなきゃ、何を話せばいいの・・・・・。
ミサキは何か話題がないか考えていた。
そんなミサキの姿をハヤトは右側でちらっと見ていた。
ハヤトも同じクラスのミサキのことを少し気になっていた。
普段なかなか話をしないミサキのことを気になり始めたのは
一度だけ、ハヤトが参加したサッカーの試合をミサキが観に来ていた時だった。
試合にめったに来たことがないミサキが応援している姿を見て、ハヤトはミサキのことが気になり始めたのだった。
普段は部活でなかなか話ができないミサキが、今近くにいる。
ハヤトもまた、どうすればいいのか戸惑っていた。
実は、ミサキが道の少し前で歩いているのを雨が降る前に見かけたが、なかなか声をかけられなかったのである。
どうすればいいのかな・・・・サッカーの話、あまり興味ないかな。
今度また試合があるけど、誘ったら観に来てくれるかな。
お互い、何を話せばいいのか困っていた。
2人の間には雨の音だけが聞こえている。
時間は静かに流れていった。
このままだといけない・・・何か話さなきゃ。
ミサキは意を決して、ハヤトの方を向いた。
ハヤトもミサキの方を向いている。
「あ、あのさ・・・・・」
「あの・・・・・」
2人同時に声をかけた瞬間、後ろの玄関のドアが開いた。
洋館の中から1人の中年の女性が出てきた。
「あら・・・・」
玄関にいる2人の姿に気が付き、女性がそう声を出すと
ハヤトとミサキは後ろを向いて、女性に気が付いた。
女性は2人に声をかけた。
「こんにちは。すごい雨ね・・・・・ここで雨宿りしているの?」
「は、はい。すみません。傘を持ってないので、しばらくの間ここにいようと思って」
ミサキは頭を下げると、女性はいいわよと言うように微笑みながら
「いいのよ、気にしないで。それより濡れてない?大変だったでしょう」
「あ・・・・いえ、そんな。大丈夫です」
「よかったら、雨が止むまでの間、中でお茶でも飲んで休んでいって」
「え・・・・」
ミサキがどうしようかと戸惑っていると、ハヤトが女性に向かって答えた。
「いいんですか?ありがとうございます」
2人は女性の後に続いて洋館の中に入った。
入ってすぐ中央には、2階へ続く階段がある。
階段の左側には休憩所なのか、長い木製のベンチが横に並べてあるのがガラス越しに見える。
右側にはガラス越しに、椅子とテーブルが並んであるのが見えた。
3人は右側に行くと、カフェの入口に来た。
女性は2人に声をかけた。
「本当はもう店を閉める時間なんだけど、今日は特別よ。よかったらコーヒーでも淹れましょうか」
「いいんですか?」とハヤト
「いいのよ。今日はもうお客さんも来ないだろうし。中に入って好きな席に座って」
「ありがとうございます」
2人はカフェに入ると、一番奥の窓側の席に座った。
ミサキが窓の外を見ると、空はまだ暗く、雨は降り続いている。
雨はまだ止みそうにない。
「まだしばらくは止みそうにないな」
窓の外を見ながらハヤトが言った。
「うん、そうだね・・・・・・」とミサキ
「ところで、ミサキの家って、この近くなの?」
ハヤトが話を変えると、ミサキはハヤトの方を向いて
「この近くじゃないけど・・・・どうしてそんなこと聞くの?」
「い、いや別に・・・・ただ聞いてみただけだけど。この近くなのかなって」
「そういえば、ハヤトはこの近所に住んでるの?」
「オレは・・・・・・」
「コーヒーを持ってきたわよ」
ハヤトが言いかけた途端、女性がコーヒーカップを2個乗せたトレイを持ってきた。
そしてコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」ミサキは女性にお礼を言い、続けてこう聞いた。
「この洋館の2階はどうなっているんですか?あまりここには来たことがなくて」
「2階はこの町の歴史資料室になっているの。もう今日は閉まっちゃったけど」
「そうなんですか・・・・・」
「よかったら、また今度来て。月曜以外はいつでも開いてるから・・・ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
ミサキがうなづくと、女性はトレイを持ってその場を後にした。
「2階は歴史資料室になってるのか・・・・」
ハヤトがカップを持って、コーヒーをすすると、ミサキもコーヒーを飲もうとカップに手を伸ばした。
コーヒーを一口飲むと、温度が熱く、ミサキは少し慌てて口を離した。
そしてコーヒーを冷まそうと息をフーフーと吹きかけながら
「ここには来たことがあるの?」とハヤトに聞いた。
ハヤトはカップをテーブルに置いて
「あまり来たことがないけど・・・・中にカフェがあるなんて知らなかった」
「カフェができたのは知ってたけど、2階のことは知らなかったわ」
「ミサキって、この町の歴史に興味があるの?」
「歴史はあまり興味ないけど、この町のことは好きだから。でももう来れないかも・・・・」
「え?」
ハヤトがそう言ったとたん、ミサキははっと気が付いた。
いけない、まだ誰にも引っ越しのこと言ってないのに。
ミサキが黙っていると、ハヤトは気になるのか
「もう来れないかもって何だよ。何かあるのか?」
「う、ううん。何でもない」
ミサキは首を振って否定するが、ハヤトは納得がいかないという顔で
「何でもなくないだろう?何かあったのか言ってみろよ・・・・」
「・・・・誰にも言わない?」
「誰にも言わないよ。約束する」
ミサキの顔をじっと見ているハヤトに、ミサキは静かに口を開いた。
「・・・・・もしかしたら、この町を離れることになるかもしれないの」
「え・・・・」
ミサキの言葉にハヤトは驚きながら、思わず声をもらした。
そしてしばらくしてミサキにこう聞いた。
「どういうことだよ・・・・何でこの町を離れるんだ?」
「親の都合なの」
ミサキはそう言い捨て、少し冷めたコーヒーをすすった後、静かに話を続けた。
「両親が最近、仲が悪くなって・・・・家に帰ってもケンカばかりして、家にいても何も楽しくなかった。
それで3日ぐらい前に、家に帰ったら母親から話があって、離婚するから家を出ることになるって。
でも仕事の都合があるから、隣町に行くことになるだろうって話を聞いたの」
「そうなのか・・・・・でも隣町なら、高校は変わらなくてもいいんじゃないか?」
「それは私も聞いたわ。でも隣町の高校に行くことになるかもしれないって」
「・・・・・それはもう決まったことなのか?」
「離婚することは決まってるみたい。母親は隣町の住むところを探してるって」
そこで2人の会話が途切れた。
しばらく黙っていると、女性が話を聞いていたのか2人に近づいてきた。
「同じ学校で会えなくても、隣町ぐらいだったら会おうと思えば会えるじゃないの?」
ミサキが女性を見ると、女性はハヤトの空になったカップを見ながら
「コーヒーのお代わりはどう?」とコーヒーポットを持ってハヤトに向かって聞いた。
ハヤトがうなづくと、女性はコーヒーをカップに注ぎながらミサキに言った。
「人生っていろいろあるけど、どうにかなるものよ・・・・・今は悪い時かもしれないけど、悪いことは続かないわ。
今振っている雨も止むように、いいことがきっとやってくるわ。だから気を落とさないでね」
「そ、そうだよ」ハヤトが女性の言葉を受けてうなづいた。
そしてミサキの顔を見ながら
「いつ引っ越すのか分からないけど、隣町に行っても会えなくなるわけじゃない。引っ越ししてもまた会おう」
「ハヤト・・・・・ありがとう」
ミサキはハヤトにそう言うとコーヒーを飲み干し、カップをテーブルに置いた。
しばらくして、雨がようやく止み、空が明るくなってきた。
雨が止んだので、ミサキとハヤトは洋館を出ることにした。
「いいんですか?本当にお金を払わなくて」
玄関まで着くと、ミサキは女性に聞いた。
女性はうなづいて
「いいのよ。それにこっちからお茶に誘ったんだから・・・・今度来た時は色々頼んでね」
「なんだかすみません。いろいろ話も聞いてもらって」
「いいのよ。気が楽になったでしょう?また何かあったら遠慮しないでまた来てね」
「はい・・・・ありがとうございます」
2人が玄関のドアを開けて外に出ると、女性は玄関のドアノブに手をかけて、ドアを閉めた。
「じゃ・・・・・また明日な」
ハヤトはミサキに声をかけて、その場を離れようと歩き始めた。
「ハヤト」
後ろからミサキに声をかけられ、ハヤトが後ろを振り向くと、ミサキはハヤトにこう言った。
「今日はありがとう」
「う、うん・・・・またな」
ハヤトはうなづいて、再び前を向いて歩きだした。
ミサキはハヤトの後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。
ハヤトの姿が見えなくなり、しばらくしてミサキも帰ろうと歩きだそうとすると
カバンに入れているスマホの着信音が鳴った。
ミサキがスマホを取り出し、画面を見てみるとLINEのメッセージがあるという文字をみかけた。
ミサキがLINEを開くと、さっきまで一緒にいたハヤトからだった。
こちらこそ、今日はありがとう。
よければまた一緒にあの洋館に行こう。
それと、もしかしたらミサキが隣町に越してからになるかもしれないけど
サッカーの試合があるんだ。ミサキには試合には来て欲しい。来てくれるかな?
それから、学校のLINEだと何かと不便だから、この後個人のQRコードを送るよ。
これからは個人のLINEで送るから、ミサキももし個人のLINEアカウントがあれば
これからはそれで連絡してくれないかな。
隣町に行ったからと言って、会えなくなるわけじゃない。
引っ越ししても連絡してまた会おう。
ハヤト・・・・・ありがとう。
メッセージを見たミサキは、何とも言えない感情が心からこみ上げてくるのを感じた。
そしてその場でハヤトの個人アカウントを登録すると
ハヤトに返事を送ろうとスマホ画面を見つめていた。
空はすっかり明るくなり、きれいなオレンジ色の夕焼けに染まっていた。