追憶の古城

 

ある晴れた日の夜。
その夜は星がきれいに輝き、満月が夜空に浮かんでいた。
月の光は優しく、森の中のある場所を照らしていた。
森の奥にひっそりと漂う古城の城を。


城といっても、窓は全て壊れており、中は天井が崩れていたり、壁の絵の一部が
剥がれていたり、階段も崩れているところがあり、荒れ果てている。
誰も住んでいる気配のない、廃墟と化した城。


そんな城の上部のバルコニーに、1人の男が空を見上げていた。
夜空に浮かんでいる満月を、どこか寂しげな表情で見上げていた。


男性はこの2,3日、森の中を彷徨っていた。
気が付いたらこの森の中におり、彷徨っているうちにこの城にたどり着いたのだ。


自分はここで一体何をしているのだろう。
自分はどこから来て、どこへ行こうとしているのだろう。


男性は満月を見つめながら、自分はどうすればいいのか悩んでいた。


自分は、一体誰なんだろう?
自分は何者なのだろうか・・・・・。


男性は自分が誰なのか、分からなくなっていた。
この森の中で気が付いた時から、男性の記憶がなくなっていたのだ。


自分はこれからどうすればいいのだろう。
ずっと1人でこの森を彷徨うことになるのだろうか?


男性はふと、ジャケットの内ポケットから笛を出した。
この笛は気が付いた時から持っており、男性はこの笛が手掛かりになるのではないかと
持ち続けていた。
笛の先を口に添えて、横に構えると、何気に笛を吹き始めた。


笛を吹いていると、どこからか動物たちが城に集まってきた。
バルコニーの城壁のそばにはリスやネズミが、その上には小鳥達が次々と止まり
男性の演奏を聴いているかのようだ。


男性は動物達が聴いているのも知らず、ひたすら笛を吹き続けていた。
自分の心にぽっかりと空いたような寂しさを埋めるかのように。


演奏を終えようとした時、バサバサと羽の動くような音が男性の後ろで聞こえた。
男性が演奏を止めて振り向くと、一羽の白い白鳥がやってきた。


なんてきれいな白鳥なんだろう。


白鳥はバルコニーに降りたとたん、白い光が白鳥を包み込んだ。
光が消えると、白いドレスに身を包んだ1人の女性がいるではないか。


男性は女性を見て、驚きながらも何も言えずにいた。
白鳥から女性に変わるなんて、誰が想像しただろう!


その女性は、満月の色に似た光輝くような金髪で、髪を後ろで束ねている。
女性の目は汚れのないブルーの瞳を持ち、顔はきれいに整えられた美しさ。
見ている者を誰もが惹きつけるきれいな顔だちをしていた。


なんてきれいな女性なんだろう。


思わず男性は持っていた笛を落とした。
あまりにもの美しさに何も言えずにいると、女性は男性の方を向いた。
男性の顔を見たとたん、女性の顔ははっと思いだしたような顔つきに変わった。


「生きていたのね・・・・・!」
女性はブルーの瞳を大きく見開き、男性に駆け寄っていった。
「よかった・・・・・」
女性は安堵した様子で、そのまま男性に抱きついた。
え・・・・・?
男性は何が起こったのかわからず、抱きしめられたままその場を立ち尽くしていた。


「君は・・・・誰?」
ようやく男性が声をかけると、女性は驚いて男性から離れた。
女性は戸惑いながら、男性を見つめている。
「え・・・・?私がわからないの・・・・?」
「ごめん・・・・・自分が誰なのか分からないんだ」
「そんな・・・・・・」
男性の言葉を受けて、女性は信じられないという顔つきで右手を口に当てていた。


男性が記憶を失っていると分かった女性は、どうすればいいのか考えていた。
きっかけをつかめれば、何か思い出すかもしれない。
2人でやっていた楽しいことを思い出せば、記憶が戻るかもしれないわ。
楽しいこと・・・・・・。
時間を忘れるくらい楽しかったこと・・・・。
うかない顔をしている男性を見ながら、女性は自分の記憶の中で2人の思い出を遡っていた。


すると、女性はある出来事を思い出した。
男性が記憶をなくす前に、2人がよくやっていたことだった。
これならすぐに思い出せるかもしれない。
女性は再び男性に近づいた。


男性が気が付いて女性の方を向くと、女性はいきなり右手で男性の左手を取った。


「踊りましょう」


男性が戸惑っていると、女性は平然と答えた。
そして左手を男性の右腕の上に置くと、女性は男性の顔を見つめて微笑んだ。


「大丈夫よ・・・・私に任せて。あなたは私が踊った通りにすればいいわ」


女性が動き始めると、男性はとまどいながらもつられるように動き始めた。
女性は男性を気遣うように、ゆっくりとステップをしながら左回転をしている。
2人は静かにワルツを踊り始めた。
音楽のない、2人だけの静かなワルツを。


しばらく踊っていると、男性の脳裏にわずかな記憶が蘇ってきた。
広く、明るい部屋で、大勢の人達が集まって踊りを踊っている。
誰かは分からないが、男性も相手の女性と一緒に踊っている。


これは・・・・・あの時と同じだ。


男性は思い出したように、ステップを踏み始めた。
今までぎこちなかった動きだったが、徐々に自然な動きに変わっていく。


そうだ・・・・あの時もこのワルツを踊っていた。
一緒に踊っていた女性は、この女性だったのだろうか?


男性は女性を見つめながら考えていた。


さっき会ったばかりなのに、この人は前から私のことを知っているようだ。
それもかなり昔から知っているように、私のことを・・・・・。


男性はいつの間にか、女性を意識し始めていた。


男性はステップを踏みながら、いつの間にか女性をリードしていた。
女性は男性の動きの変化に気が付き、リードを任せ、男性に体を預けていった。
すっかり2人の踊りは息が合い、身体の密着度も増していった。


2人は踊り終わると、しばらくお互いの顔を見つめ合っていた。


「ありがとう・・・・君のおかげでとても楽しかった」
「私もよ」


2人は言葉を交わし、身体を近づけて抱き合った。
胸の高まりを感じながら、だんだんと顔が近づき、2人は唇を重ねた。
しばらくしてゆっくりと唇が離れると、2人はお互いの温もりを感じながら抱き合い続けていた。


抱き合ったまま、女性は男性の背中越しに、ふと空に目を向けた。
空の色がだんだんと明るくなってきて、夜明けが来ようとしていた。


朝が来ようとしている・・・・! 行かなくてはいけない。


女性ははっとして、慌てて男性から離れた。


え・・・・・・?


女性の様子に男性が戸惑っていると、白い光が再び女性の身体を包み込んだ。


光が消え、白い白鳥の姿に戻ると、白鳥はそのまま城を飛び去ってしまった。


「待ってくれ!」


男性は白鳥に向かって大声で叫んだ。


このまま別れるなんて・・・・・もう寂しい思いはしたくない。


「待ってくれ!1人にしないでくれ!」


男性が白鳥の後を追おうと走りだした・・・・・・。



はっとして気が付くと、青空が目の前に広がっていた。
男性は起き上がり、辺りを見回すとそこは城のバルコニーだった。


あれは、夢だったのか・・・・・。


男性は床に落ちている笛を拾おうと手を伸ばしかけたその時、
笛の側に、白い羽根がひとつ落ちていた。


この羽根は・・・・・・!?


白鳥の羽根だと分かると、男性は昨夜過ごした女性のことを思い出した。


あの女性にもう一度会いたい。


男性は女性が残していった羽根を優しくさわりながら、ジャケットの内ポケットに
大切にそっとしまった。