クジラ雲に乗って

 



大きなクジラの形をした白い雲が、トイヴォの目の前にピタリと止まった。
トイヴォが戸惑いながらクジラ雲をじっと見ていると、前にあるクジラの目らしき黒い玉がゆっくりと動いた。
その目はトイヴォをじっと見つめている。



このクジラ雲、顔があるんだ・・・・。



トイヴォがそう思っていると、上の方でヴァロの声が聞こえてきた。



「うわあ、すごいフカフカしてる!トイヴォもおいでよ!気持ちいいよ」



トイヴォが上を見ると、ヴァロがクジラ雲の上から飛び跳ねてるのが見えた。



「ヴァロ、勝手に乗っちゃだめだよ」
それを見てトイヴォが注意すると、ヴァロはそれでもお構いなしで
「だって、雲なんだから。それに中は誰も乗ってないし。それにこの雲が僕達の目の前に来たんだから
 これに乗ってもいいんじゃないの?」
「それはそうだけど・・・・・・・乗っていいのかどうかは聞かないと分からないよ」
「でも誰に聞くの?中は誰もいないよ」
「誰って・・・・・・」
トイヴォがそう言いかけて、気が付いたようにクジラ雲の顔を見た。



トイヴォが戸惑いながらクジラ雲の顔を見ていると、クジラ雲の目が再びトイヴォを見た。
トイヴォにはその目が優しく穏やかな目に見えた。
「すみません。の、乗ってもいいですか・・・・・・?」
トイヴォが戸惑いながら聞くと、クジラ雲の目が細くなった。
トイヴォにはクジラ雲が笑っていいよと答えているように見えた。



トイヴォがクジラ雲に乗ろうと右足を雲の上に乗せた。
そして雲の中に入ると、トイヴォは歩くたびにフカフカした感触を感じながら
「本当だ、フカフカしてる・・・・・布団の中にいるみたいだ」と雲の上に横になった。
「あ、横になってる・・・・気持ちよさそう」
それを見たヴァロがトイヴォに近づくと、ヴァロもトイヴォの隣で雲の上に横になった。



2人が気持ちよさそうにクジラ雲の上で横になっていると、だんだんと上に上がっていくのを感じた。
トイヴォが起き上がり、雲の上から外を見ると、クジラ雲は地上から離れ、空へと上がっていたのだ。
トイヴォが下を見ると、さっきまでいた場所からは離れていない。
クジラ雲は真上に移動しただけだった。



「どうしたの?トイヴォ」
ヴァロがトイヴォの様子に気が付いて、フワフワ浮きながらトイヴォに近づいて声をかけた。
トイヴォはヴァロを見ながら
「いつの間にか、さっきいたところから上に上がってきたみたいだ。これからどうしようと思って」
「それなら、この雲にトイヴォの家まで連れて行ってもらったら?」
「この雲に?」
「うん。そのためにこの雲が出てきたんじゃないの?」



トイヴォは今の状況を考えた。
そういえば、セントアルベスクの王様からもらったあの木箱を開けてお願いしたんだ。
この雲がもしかしたら家まで連れて行ってくれるかもしれない。



トイヴォはクジラ雲に聞こえるように大きな声でこう言った。
「お願いします・・・・・僕達を家まで連れて行ってください」



するとしばらくしてクジラ雲が動き始めたのか、空の景色が動き始めた。
トイヴォが下を見ると、クジラ雲の影がゆっくりと動いているのが見える。
「動いてる・・・・・この雲、家まで連れて行ってくれるんだ」
「よかったね、トイヴォ」
2人はしばらく外の景色を眺めていた。



しばらくするとクジラ雲は森の上を移動し始めた。
雲の下は一面、木々の葉の緑や山肌の色が所々に広がっている。
その山の中を列車が走っていた。



その列車の車内の車窓から、アレクシが外を眺めていた。
向かいの席に大きな黒いカバンを置いて、アレクシが黙っていると後ろからドアを開ける音が聞こえてきた。
しばらくすると車掌がアレクシの側を通りかかった。
「ご乗車、ありがとうございます」
車掌がアレクシに声をかけると、アレクシは気が付いて車掌を見るなり
「ああ、やっと列車が再開したな・・・・・これでやっと家に帰れる」
「そうですね、あの大雪から復旧するのに色々とあって時間がかかってしまいました。申し訳ありません」
「いいや、謝まらなくていい。あれは天災だから仕方がなかったんだ」
車掌が頭を深々と下げると、アレクシは首を横に振りながら答えた。
そして続けて
「でもこうして無事に復旧したんだ。これでオレもようやく町に帰れる。大きな取引もなくならなくて済んだ」
「そうなんですか、それはよかったですね・・・この先の車両に食事を用意してありますので、ご利用ください」
「ありがとう」
車掌がその場を離れて行ってしまうと、アレクシは再び車窓から外を見た。



アレクシが空を見上げると、遠くにとても大きな雲があるのに気が付いた。
「あれは何だ?・・・・・・あんな大きな雲、今まで見たことないぞ」
大きな魚のような形をしている雲に、アレクシは思わず立ち上がって車窓から外に身を乗り出した。
そしてしばらくの間、大きな雲を見つめていた。



「アレクシさん、僕達に気がついたかな?」
一方でクジラ雲から列車に乗っているアレクシを見ていたヴァロが、トイヴォに聞いた。
トイヴォは何とも言えない表情で
「さあ・・・列車からかなり離れてるから、分からないかもしれない」と列車を見ている。
「そうか・・・・・車窓からこっちを見ているから気が付いてると思ったんだけどな」
「でも、ヴァロ。よくあの列車にアレクシさんが乗っているって分かったね」
「うん、この辺りを列車が通ったなって覚えてるから。それに誰なのか分かるように魔法を使ったんだ」
「なんだ、そういうことだったんだ・・・・ここからよく誰なのか分かるなって思ってたよ」
トイヴォは列車から目を離すと、雲の中へと入って行った。



それから数時間後。
雲の中でトイヴォとヴァロは横になっていたが、ヴァロが起き上がり隣にいるトイヴォに声をかけた。
「トイヴォ、まだお菓子ある?お腹空いた」
「お腹空いたの?ヴァロ」
トイヴォは両手をズボンのポケットに突っ込むが、お菓子らしきものは入っていなかった。
トイヴォは両手を出しながら
「もうないよ。さっきあげた時に全部渡しちゃったんだ」とゆっくりと起き上がった。
それを聞いたヴァロは残念そうに
「え、そんな・・・・・さっきので全部なくなっちゃったんだ」とがっかりとした顔をしている。



トイヴォは空を見上げると、夕方なのかすっかり日が暮れて空が赤くなっている。
「もう夕方なんだ。そういえば夜ごはんはどうしよう。僕もお腹が空いてきた」
「そうだよ」
ヴァロはフワフワ浮きながらトイヴォに近づいて来た。
「どうするの?ここからお店を探す?でもずっと森の上を移動してるし・・・・・」
トイヴォが黙っていると、ゴロゴロという音がヴァロの方から聞こえてきた。



すると突然、ヴァロの目の前にたくさんの食べ物が現れた。
クッキーやケーキなどのお菓子はもちろん、パンや皿の上に盛られている魚や肉の料理まで
いろんな食べ物がヴァロの前に置かれていた。
「食べ物がこんなにたくさん出てきた!おいしそう!」
それを見たヴァロが手前にある丸いパンを口に入れると、美味しいのか嬉しそうな顔をしている。



それを見たトイヴォは驚いた。
「ヴァロ、それ・・・・・魔法で出したの?」
「ううん、僕は何もやってないよ。ただ食べたいものを思っただけ」
口をもぐもぐさせながらヴァロが答えると、トイヴォは戸惑いながらも食べたいものを思ってみた。
するとトイヴォの目の前にもたくさんの食べ物が現れた。



「・・・・・本当だ。すごい。思っただけで出てきた」
トイヴォは驚きながら、目の前にあるかごの中にある細長いパンを取った。
「思っただけで出てくるなんてすごいね。それにとてもおいしいよ。これなら雲から降りなくて済むね」
ヴァロがそう言いながら、皿に盛られている料理を食べ始めるのだった。



2人がクジラ雲に乗って数日後。
トイヴォがクジラ雲から外を見ていると、広い丘と草原が見えてきた。
トイヴォが丘を見ていると、木々の間から数人の帽子を被った人達が出てきた。
丘から出てきた人達は草原に向かってみんな走り回っている。



みんな帽子を被ってる。
それにあの場所、どこかで見たような・・・・・・・・。



トイヴォが丘にいる人達を見ながらそう思っていると、丘からもう1人、帽子を被った人が出てきた。



もう1人出てきた。
みんな背丈が小さいから子供みたいだけど、ここからだと遠くて帽子でよく分からない。



すると下の草原の方から誰かの声が聞こえてきた。
「ノエル!早くおいでよ」



え・・・・・・!



トイヴォはそれを聞いて驚いた。
そして丘の方を見ていると、呼ばれた人は草原に向かって走り出した。
走り出したかと思えば、風が吹いて来たのか帽子が後ろに飛ばされていく。
その姿を見たとたん、トイヴォはさらに驚いた。
その人は、ノエルだったのだ。



トイヴォは思わず、雲の外に身を乗り出した。
そしてノエルに向かって声をかけようとしたが思いとどまった。
トイヴォが乗っているクジラ雲から、ノエル達がいる丘まではかなり離れているからだ。



ここから大声でノエルを呼んでも、気が付かないだろうな・・・・・。
それに僕がこの雲に乗ってるのを見たら、どう思うんだろう。



トイヴォが雲の中に身を引くと、そこにヴァロがフワフワ浮きながらやってきた。
「トイヴォ、こんなところにいた・・・・そこで何をしてるの?」
「ヴァロ、外を見てたんだ」
トイヴォがヴァロに向かって答えると、再び丘の方を見た。
ヴァロがトイヴォの左横に来て、丘を見ると、ノエルが落ちた帽子を拾っているところだった。
「あ、あれはノエルじゃないの?」
ヴァロがノエルの姿にすぐ気が付くと、トイヴォはうなづいた。
「うん、ノエルだよ。僕たちは小人の住む村まで戻ってきたんだ」
「どうして声をかけないの?」
「ここからだと遠すぎて呼んでも分からないかもしれない。それに・・・・・」
「それに?」
「丘にいるのはノエルだけじゃないんだ。僕達がこの雲に乗ってるのをノエルが見たらどう思うんだろう」
「・・・・・たぶん、みんなこの雲に乗りたいって言ってくるだろうね」
「うん。それにクジラ雲がノエルを乗せてくれるかも分からないし、この雲から降りられるのかも分からない。
 だからここから見ているしかないんだ」
ヴァロに言った後、トイヴォは丘にいるノエルを見つめていた。



「ノエル、早く降りておいでよ」
一方で、ノエルが地面に落ちている帽子を拾うと、草原から声が聞こえてきた。
草原にはノエルと同じぐらいの男の子が数人集まっている。
ノエルは帽子を右手に持つと、草原に向かって走り始めた。
そして草原に着くと、待っていた男の子達と楽しそうに遊び始めた。



しばらくすると丘の方から誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ノエル、そこにいるの?」
ノエルが丘の方を見ると、エルメリとユリアの姿があった。
ノエルは大きな声で
「お母さん、どうしたの?何かあったの?」
「そろそろお昼になるから、いったん家に戻ってきて。お昼ご飯を用意してあるから」とユリア
「ノエルだけじゃない、みんなも家に戻って。お昼ご飯を食べたらまたここに戻ってきなさい」
エルメリがユリアに続いて子供達に声をかけると、草原の子供達は丘へと歩き始めた。



「あれは・・・・ノエルのお父さんとお母さんだ!どうして村にいるんだろう?」
ヴァロがユリアとエルメリの姿を見て驚いている。
トイヴォも2人の姿を見ながら
「うん・・・・それに家に戻ってって言ってた。もしかしたら町から村に戻ってきたのかもしれない」
「それに僕達が行った時はノエルしか子供がいなかったじゃない。どうしたんだろう?」
「僕達がいなくなってから、いろいろと変わったんじゃないかな」
トイヴォはヴァロの方を向いて答えた。
「他の子供は町から村に移ってきたんだと思うよ。ノエルに友達ができてよかった」
トイヴォは再び丘の方を向くと、ノエルの姿を見ながらさらにこう言った。
「それにお父さんとお母さんも戻ってきてよかった。ノエルは幸せだと思うよ」



子供達が丘へと上がり、それぞれの家に帰ろうと丘を離れていく中
最後にノエルが丘に上がると、ふと後ろを振り返った。
「あ・・・・・・」
「どうしたの?ノエル」
ノエルの声に気が付いて、丘から離れようとしたユリアが足を止め、ノエルの方を振り返った。
「お父さん、お母さん、空を見てよ・・・・あの雲、面白い形をしてる」
ノエルが空を見上げていると、ユリアとエルメリも空を見上げた。



少し離れた空に、大きなクジラ雲が横たわるようにゆっくりと動いているのが見えた。



エルメリはクジラ雲を見ながら
「本当だ。面白い形をしているね・・・・それにとても大きい」
「そうね。あんなに大きくて変わった雲は初めて見たわ」
ユリアも雲を見ながらそう言った後、2人の方を向いて
「さあ、家に帰りましょう。早くしないとご飯が冷めてしまうわ」
「はーい」
ノエルが2人の方を向いて答えると、3人は後ろを振り返って歩き始めた。



クジラ雲が丘を通り過ぎて、しばらくすると、ヴァロがトイヴォにこう言った。
「今いる場所が小人の村なら、そろそろポルトに着くんじゃない?」
「ポルトに・・・・・・?そうか、村からポルトは近かったんだっけ」
ヴァロの言葉に一瞬何を言っているか分からなかったが、トイヴォは途中で気が付いた。
「うん、近かったと思ったよ。だから今日にはポルトに着くんじゃない?」
「でも、ポルトから村までそんなに近かったかな?村に行った時はかなり歩いたような気がしたけど」
「歩いてだと遠かったかもしれないけど、空からだとそんなにかからないんじゃ・・・・」
「しばらくこのまま外を見てみようか」
「うん」
ヴァロがうなづくと、2人はしばらくの間、外を眺めていた。



しばらく2人は雲の外を見ていたが、相変わらず辺りは森と山に囲まれていた。
クジラ雲の行く先にも同じ景色が見えていて、海も全く見えていない。
2人はあきらめて雲の中に入って行った。



次の日の昼下がり。
一隻の船がポルトの港に到着した。
船から乗客が次々と降りて行く中に、オリヴィアの姿があった。
オリヴィアのすぐ後ろにはセントアルベスク城で会った女性と、アマンダ達の姿もある。



「エンマさん」
女性が辺りを見回していると、オリヴィアが後ろを振り返って声をかけた。
その女性、エンマがオリヴィアの顔を見ると、オリヴィアが話し始めた。
「ポルトからキノアの近くまで行く船が出ているの。今日は時間を過ぎてしまったからもう出ていないけれど。
 明日の朝の便でよかったらこれから手配をするわ」
「ここから船が出ているんですか・・・・・?」
「ええ、キノアのすぐ側までですけど。もしキノアまでの道が分からなかったら船長さんに聞けば分かるわ。
 船が出るのは明日の朝だから、今日は私の家で休んで下さい」
「ありがとうございます」
エンマが頭を下げていると、後ろで誰かが泣いている声が聞こえてきた。



2人が後ろを振り向くと、そこには辺りを見回しているアマンダの姿があった。
「やっと・・・・やっとポルトに帰ってきたのね。よかった・・・・・」とハンカチで涙を拭いている。
「アマンダさん」
オリヴィアがアマンダの側に近づくと、アマンダは気が付いて
「オリヴィアさん、ありがとう・・・・・あなたが助けてくれなかったら、今頃私達はどうなっていたか」
「ええ、無事でよかったわ。後はアウロラを迎えに行かないと・・・・森の和尚様のところにはいつ行くつもりなの?」
「明日には準備をして迎えに行くつもりよ。オリヴィアさん、私、森には行ったことがないの・・・・・
 一緒に行ってくれないかしら」
「分かったわ」オリヴィアはうなづいた。「今日は疲れているだろうから家に帰って。長旅で疲れているでしょう」
アマンダがうなづいていると、後ろから男性の大きな声が聞こえてきた。
「オリヴィア!」



3人がいっせいに後ろを振り向くと、そこには背が高く、体格のいい男がいた。
「ヘンリック!」
オリヴィアは男の姿を見た途端、驚きながらヘンリックの方に駆け寄った。
オリヴィアがすぐ側までやって来ると、ヘンリックはオリヴィアの姿をじっと見つめながら
「やっと・・・・やっと帰ってきたのか。無事でよかった」
「長い間、心配かけてごめんなさい。でもどうしてここへ?」
「ああ・・・・船の連中から、セントアルベスクからの船が着くって聞いたんだ。もしかしたらと思ってな」
ヘンリックはなぜか緊張した面持ちで、続けてこう言った。
「話があるんだ・・・・・できれば2人きりで話がしたい」



それを聞いたオリヴィアは後ろにいる2人をちらっと見た。
「今はちょっと無理よ。家に帰ってから話を聞くわ」
「いや、今じゃないとだめなんだ」
首を振るヘンリックに、後ろからアマンダが2人に声をかけた。
「私達なら大丈夫よ。しばらくの間、マーケットのカフェで休んでいるわ」
「アマンダさん・・・・・・」とオリヴィア
「行きましょう、エンマさん。マーケットにはいろんなものがたくさんあるわよ。案内するわ」
アマンダはエンマを連れて、さっさとその場を離れて行ってしまった。



2人きりになってしまうと、ヘンリックはオリヴィアに声をかけた。
「ここだと少し騒がしいから、静かなところに行こう」
オリヴィアが返事をしないうちにヘンリックが歩き出すと、オリヴィアはヘンリックの後をついて歩き出した。



一方、クジラ雲は海の上を移動していた。



海に出たんだ・・・・そろそろポルトに着くかもしれない。



雲の下に広がる海を見ながら、トイヴォは視線を前に向けた。
辺りは海が広がっており、まだ地上は見えてこない。



隣ではフワフワ浮きながら、ヴァロが海面をじっと見つめていた。
「あっ」
ヴァロが何かを見つけたのか声をあげた。
「何?どうしたのヴァロ」
トイヴォがそれを聞いてヴァロの方を向くと、ヴァロは海面をじっと見ている。
「何かが海の下で動いてるんだ。上に上がって来るみたい」
「それはどこ?何が動いてるの?」
トイヴォが聞きながらヴァロが見ている場所を見ようとすると、ヴァロは海面を見たまま
「とても大きいよ。大きくて魚みたいなもの・・・・魚なのかどうかは分からないけど」
「え・・・・・?どこを見てるの?」
トイヴォが戸惑っていると、ヴァロはさらにあっという声をあげた。
「だんだん上に上がってきた!もうすぐ海に上がって来るよ」



2人が海面を見ていると、海面が大きく揺れて、大きな波が出てきた。
そして大きな水しぶきを上げながら、大きな体をした生き物が海面から飛び出してきた。
出て来たかと思えば、ゆっくりと体を反らし、お腹を見せながら再び海の中へと入って行った。
あまりにも大きな水しぶきに、雲から見ていた2人は圧倒されてしばらくその場を動けなかった。



「あれは・・・・・・・クジラなの?」
しばらくしてヴァロがようやく口を開くと、トイヴォは海面をじっと見つめていた。
そしてヴァロの方を向くと、両手をズボンのポケットに入れながら
「うん、あれはクジラだと思う。あんなに大きいんだ・・・・初めて見たよ」
「あれが本物のクジラなんだ!とても大きかったね」
「うん」
トイヴォがうなづくと、両手をポケットから出し、右手に持っている折りたたまれた紙を広げた。



紙を広げると、それはポルトに来た時にヘンリックからもらったクジラ祭のチラシだった。
チラシのクジラの絵を見ていると、後ろでヴァロの声が聞こえてきた。
「トイヴォ!またあのクジラが上がってきたよ!」



トイヴォが再び海面を見ると、さっきのクジラが海面から頭を出しているところだった。
そして再び海に潜っていくと、まっすぐ前へと移動を始めた。
「どこに行くのかな?」とヴァロ
「分からない・・・・このまま後を追ってみよう。この雲も同じ方向に行ってるし」
トイヴォの言葉にヴァロがうなづくと、2人は海の中のクジラの姿を見つめていた。



一方、数隻の船が停泊している場所に着くと、ヘンリックは足を止めた。
「ここでいいだろう。ここならあまり人もいないし。静かに話ができる」
ヘンリックがオリヴィアの方を振り返ると、オリヴィアは少し戸惑いながら足を止めた。
「ええ、そうね・・・・話って何?」
「あ、ああ・・・・実はずっと前から考えていたことなんだけどな」
ヘンリックは緊張した面持ちで、ズボンのポケットに右手を入れた。
そしてポケットから小さな箱を出すと、オリヴィアに近づいた。



オリヴィアの隣に来ると、ヘンリックは箱を開けた。
箱の中には白いしずくの形をした石に革ひもがついているネックレスが入っていた。
箱の中を見たオリヴィアが驚いていると、ヘンリックは話を始めた。
「これはポルトで昔から作っているクジラの歯で作ったネックレスだ。
 オリヴィアとここで初めて会った時から、オレはお前のことをずっと気になっていたんだ。
 しばらくの間、一緒に生活してきた時にいつかは言おうと思っていたが、なかなか言えなかった」
「ヘンリック・・・・・」
「大勢の子供達の世話も何も文句も言わずにやってくれた。それだけじゃない。自分の仕事もあるのに
 家の掃除や家事もやってくれた。オリヴィアにはとても感謝している」
「・・・・・・・」
「この間の事で、子供達もオリヴィアも家からいなくなって、今までの生活がとても大事だったって事が
 分かったんだ。それにオリヴィアが家からいなくなって、ぽっかりと大きな穴が開いたように空しくなって
 やっぱりオレはお前の事が好きなんだって分かったんだ」
「・・・・・・・」
「オレにはもうお前しかいない。オリヴィア・・・・これからは一緒にいてくれないか?
 もちろん仕事は今まで通りやってくれて構わない。オレも漁師だから帰れない時もあるが・・・・
 一緒になってくれないか?」



話を終えたヘンリックがオリヴィアを見つめていると、オリヴィアもヘンリックを見つめていた。
先に口を開いたのはオリヴィアだった。
「・・・・・とても嬉しいわ、ヘンリック。私も・・・・あなたの事が気になっていたの」
「え・・・・・そ、それじゃ・・・・・・・」
「これからは一緒に暮らしましょう。ヘンリック」
オリヴィアがうなづきながら答えると、ヘンリックは嬉しそうに笑顔でうなづいた。



オリヴィアは箱に入っているネックレスを両手で取った。
「とても素敵なネックレスだわ。ヘンリック・・・・私にこれをつけてくれる?」
「あ、ああ」
オリヴィアからネックレスを受け取ったヘンリックは、革ひもを大きく広げると、
オリヴィアの頭からそっとネックレスをかけた。
ネックレスをかけたオリヴィアを見たヘンリックが声をかけた。
「とても似合ってる・・・・・」
「ありがとう、ヘンリック。とても嬉しいわ」
オリヴィアが嬉しそうにヘンリックを見ると、ヘンリックもオリヴィアを見つめながら少しづつ
オリヴィアに近づいた。



すると後ろから誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
「あ、オリヴィアさんだ!」
その声にオリヴィアが後ろを振り向くと、そこにはたくさんの子供達の姿があった。
子供達はだんだんと2人に駆け寄ってきている。
オリヴィアは子供達の姿を見た途端、気が付いてはっとした。



この子供達は・・・・・・! 
誘拐事件の時にほとんど全員、他の家に預けたはずなのに。



「ヘンリック、この子供達はどうして・・・・?」
驚きながらヘンリックの方を向くと、ヘンリックは子供達を見ながら
「まだ出てくるのがちょっと早かったな・・・・・いいところだったのに」
「ヘンリック、これは一体・・・・・・」
「ああ、家にいた子供達だ。あの事件が解決した後、子供達に家に戻りたいか聞いて回ったんだ。
 そうしたら全員、戻りたいって言うから連れてきた」
2人の周りは子供達でいっぱいになっていた。



オリヴィアが子供達を見ていると、ヘンリックが戸惑いながら聞いた。
「子供達がいるとダメなのか?」
するとオリヴィアは首を振って
「いいえ、あなたと初めて会った頃もこんな感じだったもの・・・・まるでその時に戻ったみたい。
 子供達がいた方が賑やかでいいわ」
「そ、そうか・・・・・・よかった」
ヘンリックがほっとしていると、突然どこかから大きな声が聞こえてきた。
「おーい!港にクジラが入ってきたぞ!」



「え、な、何だって?クジラが?」
それを聞いたヘンリックが戸惑っていると、周りにいる子供の1人が港を指差した。
「あ、本当だ!水を吹き出してる!クジラが来たんだ!」
ヘンリックが港を見ると、水しぶきが上がっているのが見えた。



ヘンリックとオリヴィアが顔を見合わせると、ヘンリックが子供達に声をかけた。
「よし、これからクジラを見に行こう。転ばないように気をつけろよ」
子供達が港に走っていくのを見ながら、2人はゆっくりとその場を後にした。



船の乗り場に戻ると、さっきまで船が停泊していたところには大勢の人達がクジラを見ようと集まっていた。
ヘンリックが海を見ると、クジラの頭がはっきりと見える。
黒くて大きなクジラが港に止まっているのだ。
「本当だ・・・・・・クジラがポルトに戻ってきた」
ヘンリックがぽつりとつぶやくと、どこかから誰かの声が聞こえてきた。
「クジラがポルトに戻ってきた!クジラを迎える準備をするぞ!」



港の人々が慌ただしく動いているのを、クジラ雲の上からトイヴォとヴァロが見つめていた。
「あのクジラ、ポルトに向かってたんだね・・・・・ポルトに着いたんだ」
港で止まっているクジラを見ているヴァロ。
「うん、ポルトに着いたんだ」とトイヴォはうなづいた。「もうここまで戻ってきたんだね」
「でもクジラが来るようになってよかったね」
「うん、本物のクジラが見れてよかった」
「トイヴォ、本当はクジラに触りたかったんじゃないの?触らなくていいの?」
「本当は触りたかったけど・・・・・見れただけでもよかったよ」
2人が港のクジラから目を離すと、クジラ雲はゆっくりと港から離れて行った。