継承
トイヴォが家に帰ってから数ケ月後のある日。
部屋でトイヴォは出かける準備をしていた。
荷物をリュックに詰め込んで、背中に背負うと、トイヴォは足早に部屋を出て行った。
「トイヴォ、出かけるの?」
玄関へ向かうトイヴォの姿を見たエンマが声をかけると、トイヴォはうなづきながらこう言った。
「あ、お母さん・・・・うん、また森へ行ってくるよ」
するとエンマは微笑みながら
「そう・・・・気をつけてね。夕方までには帰ってくるのよ」
「うん、夕方には帰ってくるよ。行ってきます」
トイヴォは再び玄関へと歩き始めると、エンマはトイヴォが外に出るまで見送った。
トイヴォは定期的に森の和尚がいる寺院に通うようになった。
それは和尚に、先日まで行ってきた旅の話をするように言われてというのがきっかけだったのだが
通っているうちに、トイヴォは森の寺院に行くのが楽しみになっていた。
それに寺院に行けば、ヴァロに会える。
旅が終わっても、ヴァロに会えるのがトイヴォには楽しみになっていた。
数時間後。
寺院に着いたトイヴォが玄関のドアを開けた。
「こんにちは」
トイヴォが中に入ってみると、辺りは誰もいなかった。
部屋の奥にある庭のご神木が見えているだけである。
誰もいないのかな・・・・・・。
いつもなら和尚様かリンネアがいるはずなのに。
トイヴォは誰かいないか辺りを見回してみるが、誰の姿も見当たらなかった。
どこかに行ってるのかな。
もしかしたら山神様と散歩に行っているのかもしれない。
トイヴォはそう思いながら、再び奥にある庭を見た。
庭に立っているご神木を見ながら、トイヴォはその場に座った。
トイヴォはリュックを床に降ろすと、中からスケッチブックを出した。
次にペンを取り出すと、スケッチブックの表紙をめくった。
トイヴォは絵を描くことを続けていた。
タハティリンナで自分が絵を描くことが好きなんだと分かり、それ以来、絵を描くことが楽しくなっていた。
寺院に通い始めたのは、庭にあるご神木を描いてみたいと思い、和尚に話をしたところ、快く返事をもらったからでもあった。
トイヴォはスケッチブックを1枚ずつめくっていく。
ソフィア、エリアス、アレクシ、オリヴィア、ノエル、そして黒いクジラ姿のヴァロ。
そこにはトイヴォが今まで出会った人達と風景のスケッチが描かれていた。
そして描きかけのご神木のスケッチが出てきたところで、トイヴォは手を止めた。
今日はどこから描いていこうか・・・・・・。
トイヴォは考えながらスケッチを見ていると、庭の方に何かがいる気配を感じた。
トイヴォが庭に出てみると、ご神木の向こう側に一匹の鹿のような動物の姿が見えた。
あれは山神様?・・・・・・・いいや違う。
トイヴォはその動物を見ながら否定した。
その動物は大きな角を持っていたが、山神よりも角が枝分かれしておらず、2つに分かれているのみで
毛並みも白ではなく、薄茶色の毛並みをしている。
それに大きさが山神よりも遥かに小さい。
トイヴォがその動物を見ていると、その動物がトイヴォの方を向いた。
そしてトイヴォの顔をじっと見ている。
トイヴォは目が合い、はっとしながらも、動物の黒いつぶらな目を見ていた。
しばらくお互いを見ていたが、先に動いたのはトイヴォだった。
トイヴォはその動物から目を逸らすと、ゆっくりと寺院の方を向いた。
あの動物は何だろう、鹿なのかな。
和尚様に見たことがあるのか聞いてみよう。
トイヴォはさっきの部屋に戻ると、和尚を探しに部屋を出て行った。
寺院の廊下を歩きながら、和尚の姿を探していると、いつの間にか奥の方まで来ていた。
トイヴォが左右両側の部屋を見渡しながら歩いていると、少し先の右側の部屋のふすまが少し開いている。
あの部屋が開いてる、もしかしたら和尚様がいるかもしれない。
トイヴォはその部屋の前まで行き、ふすまを開けて中に入った。
部屋に入ってみると、中は誰もいなかった。
正面の壁の前には、大きな仏像らしきものが飾られている。
トイヴォが辺りを見回すと、壁には見慣れない文字が書かれている紙が貼られていたり
小さい花瓶に一輪の花が飾られていた。
トイヴォが右側の壁を見ると、そこにはたくさんの写真が貼られていた。
写真を見ていると、中央に他のとは違う大きな写真があるのに気が付いた。
その写真を見ると、中央に5人ほど2列になって並んでいる集合写真だった。
前に座っている2人の後ろに、あとの3人が並んでいる。
5人の周りには何もなく、薄暗いグレイ色の空と、遠くに小さく山々が見えているだけであった。
トイヴォは写真を見ているうちに、どこかで見たことのある場所だと思い始めた。
何だろう、この場所・・・・・どこかで見覚えのある場所のような気がする。
それに後ろに並んでいる真ん中の人、どこかで見たような・・・・・・・。
トイヴォが写真を見ながら思い出そうとしていると、後ろから声が聞こえてきた。
「トイヴォ。来ていたのか」
「わっ・・・・・・お、和尚様」
その声にトイヴォは驚いて思わず体がびくっとなった。
そして和尚の姿を見ながら聞いた。
「和尚様、どこにいたのですか?探していたんです」
すると和尚はトイヴォの右横に来て
「他の部屋で本を読んでいるうちに、ついうとうとしてしまってな・・・・」と壁の写真を見ている。
そしてトイヴォが見ていた集合写真を見ながら
「この写真はかなり昔に撮ったものじゃ。懐かしい写真じゃな・・・・」
「え・・・・・どこで撮った写真ですか?」
「これはタハティリンナを建てる前に、みんなで撮ったものだ。この頃はまだみんな若かった」
「え・・・・・・・?」
それを聞いたトイヴォは思わず、写真のある人物と和尚の顔を見比べた。
トイヴォが気になっている後ろの真ん中の人物と和尚を交互に見ていると、和尚が笑い出した。
「そうじゃ、この後ろに立っている真ん中が私じゃ。若いじゃろう?」
「やっぱり・・・・ということは和尚様がタハティリンナを作ったんですか?」
「私が一応創始者ということになっているが、お前が知っている人物はもう2人いる」
和尚は再び写真を見ると、前で座っている人物を指さした。
「右にいるのがユリウス、左にいるのがカレヴィじゃ」
トイヴォは再び写真を見た。
前に座っている右側のユリウスを見ると、白髪の短髪で顔つきが少年のように幼い。
一方でカレヴィを見てみると、タハティリンナで見た時とそれほど変わらない姿だった。
「これはどのくらい前に撮った写真ですか?」
「そうじゃな・・・・・まだユリウスが子供だった時だから、20年ぐらいは経っているだろう」
「そうですか・・・・・」
トイヴォがカレヴィの姿を見ていると、和尚はそれに気づいたのか
「どうかしたのか?何か気になる事でもあるのか」
「あ、はい・・・・・タハティリンナでカレヴィさんを見たんですけど、写真の姿と全く変わってなくて。
20年前の写真なら、ユリウスさんのようにどこか変わっているんじゃないかと思うんですけど」
「カレヴィの事か・・・・・・・」
トイヴォの話を聞いて、和尚はそうつぶやいた後、一瞬黙り込んだ。
トイヴォが和尚を見ていると、和尚が再び話を始めた。
「実はカレヴィは人間ではない。ヴァロと同じ種族だ。タハティリンナでは人間の姿になっているが、仮の姿だ」
「ヴァロと同じ・・・・・?じゃカレヴィさんも星の鏡の守り神なんですか?」
「私も詳しくは分からないが、星の鏡の守り神だけではなく、いろんな役割があると聞いている。
この世界を守るためにいろんな種族がいるということじゃ。この世界にいるのは人間だけではない。
目に見えるものが全てではない。我々には見えないが、この世界を守っているものがいるということじゃ」
「・・・・・・・」
「それにカレヴィは同じ種族の間では伝説の人物の1人だと言い伝えられている。種族の中でも優秀で
皆から憧れられている存在のようじゃ」
「それは・・・・ユリウスさんも知っているんですか?」
「ああ、知っているよ。それにユリウスが今のタハティリンナの代表になったのは、カレヴィと私で
ユリウスを鍛え上げた結果じゃ。もちろん、ユリウス自身が努力した結果でもあるが・・・・。
ユリウスの成長振りに教えることがなくなった。だから私はタハティリンナを彼に譲り、ここに寺院を
構えることにしたんじゃ」
トイヴォが黙っていると、和尚は思い出したように
「そういえば、私を探していたとさっき言っていたが・・・・何かあったのか?」
「あ、そういえば」
トイヴォははっと思い出し、続けてこう言った。
「ご神木のスケッチをしようとしたら、庭に鹿のような動物がいたんです」
「鹿のような動物?今庭にいるのか?」
「分かりません。まだいるのか・・・・行ってみましょう」
トイヴォと和尚は庭に出た。
トイヴォは辺りを見回し、さっき見た動物がいないか探すが、見当たらなかった。
「それはどんな姿をしていたんだ?」
和尚がゆっくりと辺りを見回しながらトイヴォに聞いた。
「薄い茶色の毛並みで、角は2つに枝分かれしていて・・・・・山神様ほど大きくはありませんでした」
「そうか・・・・・・」
トイヴォの言葉に、和尚はうなづきながら続けてこう言った。
「それならば山神様ではないな。山神様ならリンネアと一緒に、もうひとつのご神木のある場所に行っている。
動物達がこの森に戻ってきているかもしれんな」
「動物達が・・・・・・?」
「闇の魔王による異変が起こる前、この森にはたくさんの動物がいたんじゃ。山神様に似た大きな鹿も
たくさんいた。その鹿達が戻ってきているかもしれんな」
和尚がそう言い終えると、側にあるご神木を見上げた。
和尚につられるように、トイヴォもご神木を見上げた。
和尚はご神木を眺めながら
「動物達が戻ってくれば、この森の環境もだんだん戻ってくるだろう・・・・・時間はかかるかもしれないが
今のいい状態を長く続けなくてはならない」
「・・・・・・・」
トイヴォが黙っていると、和尚は再びトイヴォの方を向いた。
「この森が昔の状態に戻るまで、おそらく私はここにはいられないじゃろう。私ももう老いぼれじゃ。トイヴォ、どうじゃ?
私の後を継いでこの寺院の後継者にならないか?」
「え・・・・・・・・?」
和尚の言葉に、トイヴォは戸惑った。
僕が和尚様の後を継ぐなんて・・・・・・。
僕は和尚様ほど頭も良くないし、ユリウスさんよりも技ができるわけでもない。
それに・・・・・・・。
トイヴォがどう答えればいいか戸惑っていると、和尚は笑い始めた。
「答えは今すぐでなくてもいい。急にこんな事を言われて困ったじゃろう?」
「え・・・・・は、はい」
トイヴォが戸惑いながら答えると、和尚は微笑みながらうなづいた。
「それにお前はまだ子供じゃ。これからやりたい事がたくさん出てくる。
もし自分のやりたい事が出てきたら、それを優先した方がいい。
無理して相手に合わせてしまうと、後でやりたい事ができなくなって戻れなくなる。取り返しのつかないことになるぞ」
「は・・・・・はい」
「ところでトイヴォは、好きな事というか、やりたいことはあるのか?」
「はい」トイヴォはうなづくと、続けてこう言った。
「タハティリンナで絵を描くのが好きだと分かったんです。もっと外に出て、いろんなものや景色を見て
描いてみたいんです」
「そうじゃな」
トイヴォの言葉に和尚は深くうなづいた。
「もっと外に出て、いろんなものを見て、いろんな事を経験するといい。とても大事なことじゃ・・・・
それがこれから描く絵にも反映されてくるじゃろう」
「ところで、このご神木の絵の方は進んでいるのか?」
和尚が話を変えると、トイヴォは気が付いて
「あ、そうだった・・・・・続きを描こうとしていたんだった。まだ途中ですけど、見ますか?」
「途中でもいい。ぜひ見せておくれ」
「部屋に戻りましょう。スケッチブックは中にあるので」
部屋に戻ると、トイヴォは床に置いてあるスケッチブックを取った。
そしてご神木のスケッチを和尚に見せると、和尚はスケッチブックを手に取った。
「これがご神木の絵か・・・・とても上手く描けているのう」
「そ、そうですか・・・・・?あ、ありがとうございます」
和尚が微笑みながら絵を見ていると、トイヴォは戸惑いながらも小さく頭を下げた。
和尚はしばらくスケッチを見ていたが、何かに気が付いたのか小さめの声を上げた。
「これは・・・・・?」
和尚の声にトイヴォが気が付いて、和尚の顔を見ると、和尚がこう言った。
「トイヴォ。このご神木のスケッチの・・・・・ここに描かれているものはなんじゃ?」
「え、どの部分ですか?」
トイヴォが聞くと、和尚はスケッチをトイヴォに見せて
「ご神木の根元にあるこれはなんじゃ?」と描かれている箇所を指さした。
トイヴォはそれを見ると、分かったようにうなづきながら
「ああ、それですか。これは僕も描き始めてから気が付いて、気になっていたんです」
「そうか・・・・・ただこれだと小さくてよく分からないな」
「気になって、その部分だけ別に描いたものがあるんです。スケッチブックを返してもらえますか」
トイヴォは和尚からスケッチブックを受け取ると、ページをめくった。
そして2、3枚めくったところで手を止めると、それを和尚に見せた。
それを見た和尚は声を上げた。
「こ、これは・・・・・・!」
和尚は目を大きく見開いたまま、体を庭のご神木の方に向けると、ゆっくりと庭の方へと歩き始めた。
「和尚様・・・・・・?」
和尚の驚いた様子に、トイヴォも後を追って庭へと歩き始めた。
庭に出て、和尚がいる場所にトイヴォが近づくと、和尚がトイヴォの方を向いた。
「さっきの絵の場所はこのご神木かな?」
「あ、はい。この木です」トイヴォはうなづいた。「あの部屋からよく見えるので」
「さっきの絵はこのご神木の根元にある・・・・これのことじゃな?」
トイヴォは和尚が指さす場所を見ると、そこには小さな芽が、小さな葉をつけていた。
「は、はい、それです。それが他のものより目についたので」
トイヴォがうなづくと、和尚はその場で腰を下ろした。
そして芽を見ながら
「これは驚いた。トイヴォにあの絵を見せられるまで、全く気が付かなかった・・・・・」
「和尚様、それは何ですか?」
「これは新しいご神木の芽じゃ」和尚はトイヴォの方を向いた。
「ここに来てから長い間、これと同じような芽を見たことがあるが、小さくて雨風に耐えきれなくてみんな枯れてしまった。
こんなに大きくなったのを見たのは初めてじゃ」
和尚は再び芽の方を向くと、ゆっくりと腰を上げ、芽の後ろにあるご神木を見上げた。
「これからこの芽は、何十年もかけて大きくなる。後ろにあるこのご神木のように大きくなるんじゃ。
今立っているご神木は、この小さな芽のために栄養を与え、だんだん枯れていくじゃろう。
枯れて朽ち果てた頃に、この芽はすっかり大きくなって新たなご神木となっているじゃろう。
こうした事が何度も繰り返されて、この森は続いていくんじゃ」
トイヴォがご神木を見上げていると、後ろから女性の声が聞こえてきた。
「和尚様、今戻りました・・・・・・トイヴォ、来ていたの?」
トイヴォが後ろを振り返ると、部屋にリンネアの姿があった。
和尚はリンネアを見るなり
「リンネア、帰ってきていたのか・・・・・そろそろお茶の時間にしようか」
「はい。もう準備はできています。向こうに行っていますね」
リンネアがそう言って、部屋を出てしまうと、和尚がトイヴォに声をかけた。
「トイヴォ、お茶の時間にしよう。そろそろヴァロがやって来るかもしれん」
「は、はい」
和尚が部屋へと歩き出すと、トイヴォも後に続いた。
部屋に入ると、トイヴォは持っていたスケッチブックを床に置いた。
そして和尚の後を追うように部屋を出て行った。
部屋の床に残されたトイヴォのスケッチブック。
一番上のページには、新たなご神木になる芽のスケッチが、中央に描かれていた。