フレームの向こう側

 



あるマンションの一室に1人の男がいた。
ユウイチには愛する妻がいたが、突然亡くなった。
病院に運ばれたが、既に亡くなっていたのだ。
死に目にも会えず、最期を看取れなかったユウイチは嘆き悲しんでいた。



ユウイチは妻と暮らしたこの部屋を出て行くことにした。
妻と過ごした楽しい思い出がある部屋を本当は手放したくなかったが
部屋にいると妻の事ばかりが浮かび、辛くなるだけだったからだった。



引越し前日の夜。
ユウイチが荷物の整理をしていると、写真立てに入っている写真が目についた。
ユウイチは写真立てに手を伸ばし、手に取ると、写真を見た。



これは・・・・ここに越して来た時に、近所の公園で撮った写真だ。懐かしいな。



写真には緑の木々をバックに、長髪で黒髪の女性が1人、微笑みながら写っていた。



ユウイチは写真の妻をしばらくの間、見つめていた。



もうこの笑顔が見れないなんて・・・・・・。



ユウイチの目からは涙が溢れてきた。
涙を手で拭いながら、ユウイチは写真立てをテーブルの上に置くと、いったん部屋を出た。



ユウイチが部屋に戻ってくると、再びテーブルの側に戻った。
缶ビールのフタを開け、一口飲むと、ユウイチは缶ビールを写真立ての隣に置いた。



ユウイチは写真の妻を見ながら、心の中で問いかけた。



どうして急にいなくなってしまったんだ。
ついこの間まで一緒にこの部屋にいたじゃないか。
一体、どうして・・・・・・・。



やっぱり、あの事が原因なのか・・・・?



ユウイチは側に置いてあるフタの空いたダンボールから、何かを取り出した。
それは1冊の母子手帳だった。



ユウイチは手帳を開くと、あるページで手を止めた。
そして写真の妻を見ながら、ユウイチは心の中で自分を責めた。



オレがもっとサオリの事を気遣っていれば、こんなことには・・・・・。
サオリも死ぬことはなかったのに。
サオリ・・・・・・。



ユウイチは写真立ての前で体を丸めて泣き始めた。






しばらくすると、ユウイチは何かを感じた。



何だろう・・・・・何かがいる気配がする。



ユウイチはゆっくりと顔を上げた。
辺りを見回すが、部屋にはユウイチ以外、誰もいない。



気のせいか・・・・・・。



そう思いながらユウイチは写真のサオリの姿を見た。



すると突然、写真の中央から強い光が出てきた。
あまりにもの眩しさに、思わずユウイチは両手で光を遮った。



しばらくすると光が消えた。
ユウイチが再び写真を見ると、さらに驚いた。
今度は写真の中のサオリがゆっくりと動き出したのだ。



ユウイチは動いているサオリに、何が起こっているのかますます戸惑っていた。
写真の中のサオリを見ていると、サオリはユウイチに向かって右手を出してきた。



ユウイチはサオリの顔を見ながら、ようやく声を出して聞いた。
「・・・・写真の中に入れって言ってるのか?」
それを聞いたサオリは微笑みながら、ゆっくりとうなづいた。



ユウイチは戸惑いながら、写真から出ているサオリの手を取った。
サオリがユウイチの手を自分の方へを引き寄せたかと思うと、ユウイチは写真の中へと入って行った。



写真の中に入ったユウイチは辺りを見回していた。
夜なのか空は暗く、周りには木々や植物があり、見慣れた近所の公園の風景が広がっている。
辺りはユウイチ以外、誰もいない。



ユウイチが気配を感じ、後ろを振り返ると、サオリの姿があった。
「サオリ・・・・・・」
ユウイチはサオリの姿を見ると、サオリに近づいた。
「本当に・・・・本当にサオリなのか?」
サオリはユウイチの顔を見つめながら、ゆっくりとうなづいた。
「サオリ・・・・・・」
ユウイチはうなづくとサオリを抱きしめた。
「サオリ・・・会いたかった・・・・・」
ユウイチの目から自然と涙が溢れてきた。



しばらくしてユウイチが涙を手で拭いながら、サオリから離れた。
そしてサオリを見つめながら
「サオリ・・・・・もっとオレがサオリを大事にしていれば、お腹の赤ちゃんも亡くなることはなかった。
 それにサオリも死ぬことはなかった・・・・ごめん、許してくれ」と頭を下げた。



ユウイチが頭を上げると、サオリは無言でユウイチを抱きしめた。
「サオリ・・・・・」
ユウイチがサオリを見ると、サオリは微笑みながらうなづいた。
「サオリ・・・・・サオリだけ辛い思いをさせて、本当にごめん・・・・・」
ユウイチはサオリを抱きしめながら、再び泣き始めた。



それから2人は一緒の時間を過ごした。
サオリは話をせず、ただユウイチを見つめているだけだったが、ユウイチにはそれで充分だった。
サオリと一緒にいられることが、今のユウイチには幸せだった。



空がだんだんと明るくなってきた頃、突然サオリがゆっくりと立ち上がった。
サオリは寂しそうな顔でユウイチを見たかと思うと、ユウイチに背を向けた。
それを見たユウイチは戸惑った。
「サオリ・・・・どうしたんだ?」
ユウイチの問いに、サオリは何も言わず黙っている。
そしてユウイチから離れようとすると、ユウイチはサオリの手をつかんだ。



サオリが戸惑いながらユウイチの方を振り返ると、ユウイチはつかんでいる手を強く握った。
「どうしてなんだ、せっかく会えたのに・・・・このまま会えなくなるのは嫌だ、行かないでくれ」
サオリは首を振ると、ユウイチはさらにこう聞いた。
「どうして・・・・・ずっとここにはいられないのか?」
するとサオリはゆっくりとうなづいた。
そしてサオリが空を見上げると、ユウイチはサオリがどこに行こうとしているのか、なんとなく分かった。



「空に上がろうとしているのか・・・・・・?」
ユウイチが聞くと、サオリはうなづいた。
「なら、どうすればいいんだ?オレはずっとサオリと一緒にいたいのに」
それを聞いたサオリは戸惑いながら、何かを考えているようにその場に立ち尽くしていた。



しばらくするとサオリはユウイチの手を取った。
「サオリ・・・・・?」
ユウイチが戸惑っていると、サオリがユウイチの手をつないだままゆっくりとどこかへと歩き出した。



しばらくしてサオリは、後ろにいるユウイチの方を振り返った。
するとさっきまで公園だった景色が、辺りが鉄の柵で覆われている場所に変わった。
ユウイチが辺りを見回すと、見慣れた景色にはっと気が付いた。
「ここは・・・・・・!? うちのマンションの屋上じゃないか!」
ユウイチが驚いてサオリを見ると、サオリはうなづいた。



ユウイチは鉄の柵を見ながら、さらに気が付いた。



ここは、サオリが飛び降りた場所・・・・・・。
でも、どうしてサオリはここに連れてきたんだ・・・・・?
まさか・・・・・・。



「・・・・・もしかしたら、ここから飛び降りれば、サオリと一緒にいられるのか?」
ユウイチはサオリに恐る恐る聞くと、サオリはゆっくりとうなづいた。
「こ・・・・・ここから飛び降りるだって?何を言ってるんだ・・・・」
冗談じゃないという感じでユウイチが話していると、サオリは悲しい顔でユウイチに背を向けた。



サオリがユウイチから離れようとすると、ユウイチは慌ててサオリを呼び止めた。
「ま、待ってくれ!行かないでくれ・・・・・」
サオリが後ろを振り向いてユウイチの顔を見ると、ユウイチは聞いた。
「・・・・どうしてもここから飛び降りなきゃ、サオリと一緒にいられないのか?」
するとサオリはしばらくしてからうなづいた。
「サオリ・・・・・・」
ユウイチはサオリを見ていると、サオリの体がゆっくりと上へと上がって行った。



すると辺りの景色が突然一変した。
ユウイチがいる場所はマンションの屋上から断崖へと変わり、目の前には海が広がっている。



これは・・・・場所が変わったのか?それとも・・・・・・。



ユウイチが戸惑っていると、サオリは宙を浮いたままユウイチに近づいた。
ユウイチは海を見下ろしながら、サオリに聞いた。
「この海に飛びこめば・・・・・サオリと一緒にいられるのか?」
ユウイチがサオリを見ると、サオリはうなづいて微笑んだ。



ユウイチは再び目の前の海を見た。



この海に飛び込めば、サオリと一緒にいられる・・・・・・。
それなら思いきって飛び込むしかない。
サオリ・・・・・・・。



ユウイチは断崖から思い切って飛び降りた。
体が海へと落ちていくのを感じながら、ユウイチはゆっくりと目を閉じた。



しばらくするとドスンという鈍い音が響き渡った。



ユウイチが気が付いて目を開けると、すぐ側にはサオリの姿があった。
辺りを見回してみると、ユウイチの体はサオリと同じく、宙を浮いている。
サオリがユウイチの手を取ると、ユウイチはサオリの顔を見ながら聞いた。
「これで・・・・サオリと一緒にいられるんだな?」
サオリが微笑みながらうなづくと、2人は手をつないだまま空の上へと移動を始めた。



2人の先には太陽の光が地上へ降りてきていた。
2人は朝日の穏やかで優しい光の中に入ると、光に溶け込むように姿を消した。






マンションの玄関前に、作業服を着た2人の男性が来ていた。
「おはようございます。引っ越し業者の者ですが」
1人の男性が玄関のベルを何度も鳴らすが、誰も出てこない。
「おかしいな・・・・・朝7時の約束なのに誰も出てこない」
すると後ろでもう1人の男性が声をかけた。
「おい、なんだか裏が騒がしいぞ・・・・何かあったのかな?」
「え、裏って、駐車場か?」
「ああ、朝から何かあったのかな・・・人が何人も集まってる。さっき誰かが警察に電話してたみたいだ」
するとそこにマンションの住民らしき中年の女性が2人通りかかった。



中年の女性の話が聞こえてきた。
「朝から物騒ね。人が集まってると思ったら・・・・・屋上から飛び込んだみたいよ」
「亡くなったあの男性って、先日亡くなった奥さんの旦那さんでしょう?」
「そうそう・・・・・後追い自殺なんて。何があったんでしょうね」
「奥さんも屋上から自殺したから、きっと寂しくなって後を追って?」
「きっとそうよ。それにあの奥さん、妊娠してたみたいだけど、流産しちゃったみたいでね。
 それがショックだったみたいでそれで屋上から飛び降りたみたい・・・・・」
「え・・・・・その事、旦那さん知ってたのかしら?」
「知らなかった事はないでしょう?だからなおさらショックだったんじゃない・・・・?」



それを聞いた作業服の男は、お互い顔を見合わせた。
「おい、もしかしたら・・・・・・・」
「ああ、行ってみよう」



マンションの裏側では、数人の人達が何かを見つめていた。
その視線の先には、ユウイチが倒れていた。
体からは大量の血が流れている。
両目を閉じたままのユウイチの顔は、どこか安らかな表情に見えた。



誰もいなくなったユウイチの部屋。
テーブルにある写真立ての中の写真には、サオリと写っているはずのないユウイチが2人並んで写っていた。
写真の2人は満面の笑みを浮かべていた。