Moonlight

 



ある寒い日の夜。
マンションの一室に1人の若い女性が帰ってきた。
肩にかかるくらいの長さの茶髪で、黒いマフラーに茶色のトレーナー、ジーンズ姿のユキは
玄関に入った途端、深いため息をついた。



あーあ、今日はとても疲れた・・・・・・。



履いていたスニーカーを脱ぎ、部屋に入ると、右手に持っていた数枚の封筒を
前にあるテーブルに置いた。
そしてテーブルの奥の細長いソファに行くと、疲れ切った表情でそのままソファに倒れ込んだ。



ユキはソファに顔をうずめていたが、しばらくするとゆっくりと体を仰向けに変えた。
天井を茫然と見つめながら、ユキは今日起こったことを考えていた。



今日はさんざんな日だったな。
確かに私がミスをしたのは悪かったけど、あんなに怒られるなんて思わなかった。
まだバイト始めて1ヶ月も経ってないのに、誰もフォローしてくれないなんてひどすぎる。
まだ分からないことばかりなのに。



ユキはある地方から上京してきたばかりだった。
最近ようやくバイト先を見つけ、働き始めたばかり。
1人で上京してきたので、友達はまだ誰もいなかった。



田舎にいた頃はみんな優しい人ばかりだったのにな。
都会って、冷たい人ばかりだ。
みんな見てるのに、見ないふりして、誰も助けてくれない。
せっかく東京に出て来たのに。



ユキはテーブルに置いてある封筒を見た。
封筒には俳優養成所の名前が書かれている。
別の封筒にはある芸能プロダクションの名前も書かれていた。



ユキは自分の夢のために、親の反対を押し切って上京してきたのだ。
女優になることを夢見て上京し、都内の俳優養成所やオーディションを受けているのだが
不合格の通知が届くばかりだった。
最初はこんなものだと思い、次々とオーディションを受けているのだが、不合格の通知が届くばかり。
なかなかうまくいかず、ユキは精神的に疲れていた。



どうせまた不合格なんだろうな・・・・・・。
バイトに行ってもうまくいかないし、もう散々。
もうあきらめて、田舎に帰ろうかな。



するとスマホの着信音が鳴り始めた。
ユキは起き上がって、近くに置いてあったカバンからスマホを取り出した。
画面を見ると「お母さん」という文字が出ていた。



お母さんからだ・・・・・一体何だろう?



ユキは電話に出た。



「もしもし」
「あ、もしもし・・・・・ユキ?お母さんだけど」
「うん。こんな時間に電話なんて、何かあったの?」
「何かあったって・・・・・・もしかしたらまだ荷物届いてないの?」
「え・・・・・?」
ユキがそう言った途端、玄関のドアベルが鳴った。



ユキが玄関のドアを開けると、作業着を着た男性が両手に大きなダンボールを持っていた。
「宅配便です。受け取りのサインお願いします」
「あ、はい」
ユキは作業員から渡されたボールペンで伝票にサインを済ませ、荷物を受け取った。



ダンボールを抱えて部屋に入り、ソファの前の床に置くと、ソファの上に置いてあるスマホを取った。
ダンボールの伝票の差出人を見ると、母親の名前が書いてあった。
「母さん、さっき言ってた荷物が届いたけど」
「今届いたんだ、開けてみて」
「え、今開けるの?」
「いいから、開けてみてよ」



母親に急かされ、ユキはダンボールのフタを開けてみた。
中を見ると、5キロと書かれたお米の袋と何かを包んでいる新聞紙が目についた。
新聞紙を開けてみると、数種類の野菜と果物が入っている。



お米と野菜と果物か。
先月も送ってきたけど・・・・・・?



お米と野菜、果物をダンボールの外に出しながら中身を確認していると
ダンボールの中には白いビニール袋に包まれた何かがまだ残っていた。



「母さん、ビニール袋に入ってるものがあるけど・・・・・」
「ああ、それね。袋を開けてごらん」



ユキが袋を開けてみると、中には大判の白いストールが入っていた。



え・・・・・・これって、実家の部屋にはなかったはず。
母さん、新しく買ってくれたのかな・・・・・・・。



ユキが再びスマホを取り、母親に話しかけた。
「母さん、この白いストールどうしたの?」
「どうしたのって?新しく買ったのよ」
母親はユキの言葉にそう答えた後、続けてこんなことを言った。
「プレゼントよ。今日はユキの誕生日でしょ?」
「え・・・・・・?」



ユキははっとして、壁にかけてあるカレンダーを見た。



そういえば、今日私の誕生日なんだ。
すっかり忘れてた・・・・・・・。
今まで自分の誕生日を忘れることなんてなかったのに。



するとスマホから母親の声が聞こえてきた。
「あら、ユキ、自分の誕生日を忘れてたの?」
「う、うん・・・・・」
ユキは歯切れの悪い返事をすると、母親は少し驚いたような声で
「あら、自分の誕生日を忘れるなんて・・・・とても忙しいの?」
「う、うん。そう。今とても忙しいの」
「そう・・・・・そっちも寒いだろうから、暖かいものを送ろうと思って。
 そのストール気に入ってくれればいいんだけど」



ユキはスマホをソファに置き、側にあるストールを両手で取った。
ストールを巻いた途端、首と両肩にふんわりとした暖かさを感じた。



このストール、とても暖かい・・・・・・・。



「母さん、ありがとう。このストールとてもあったかいよ」
再びスマホを取ったユキが母親に礼を言った。
「そう。よかった。使わないって言われたらどうしようかって思ったけど」
「そんなことないよ。ありがとう送ってくれて」
「ところで今夜は満月が出てるわね。ユキのところからは満月は見える?」
「満月?」
「今、庭の縁側から空を見たら、きれいな満月が出てるのよ」
「ちょっと待って、窓から見てみる」



ユキが窓の側に行き、外を見ると、空には黄色い満月がきれいに出ていた。
窓を開けると、冷たい空気が入ってきたが、ユキは窓から顔を出した。



本当だ。きれいな満月が見える。
こうして空を見上げるの、しばらくなかったな・・・・・・。
ここに来てから、こうして月を見るのはなかったかもしれない。
いろいろ忙しすぎて、時間に余裕がなかったからかな。



しばらく月を眺めていると、母親の声が聞こえてきた。
「ユキ?聞こえてる?」
「あ・・・・・・」気が付いたユキはスマホを顔に近づけた。
「母さん、こっちでも満月が出てる。きれいな満月だね」
「そっちでも見えてるんだ。雲ひとつ出てないから、きれいに見えるね」
「うん」
「それじゃ今、母さんとユキは同じ満月を見てるってことね」
「うん・・・・・・そうだね」
ユキは答えながら、満月を見つめていた。



しばらく間が空いてから母親の声が聞こえてきた。
「こうして離れていても、空を見上げて同じ満月を見てる・・・・離れていても母さんはユキと
 つながってるのよ」
「母さん・・・・・・?」
「そっちに行ってからうまくやってるの?なかなか連絡が来ないから気になって・・・・」
「う、うん。・・・・大丈夫よ。ちゃんとやってる」
母親の言葉に、ユキは心配をかけたくないと嘘をついた。
「母さんはいつでもユキの味方だから。帰りたくなったらいつでも帰っておいで」
「母さん・・・・・・・」
母親の言葉に、ユキは思わず涙ぐみそうになった。



田舎に帰りたい。でもここで弱音を吐いたらそれまでになってしまう。
自分の夢を追って上京してきたのに、ここで終わらせたくない。
それに母さんに心配をかけたくない・・・・・。



「母さん、大丈夫よ・・・・・私は大丈夫だから」
ユキは自分に言い聞かせるように母親に答えた。
「そう・・・・ならいいんだけど。今日はもう遅いから。体には気を付けて」
「うん」
「何かあったら、いつでも連絡してね。おやすみ」
「うん、分かった・・・・・おやすみなさい」
電話が切れる音が聞こえると、ユキは顔からスマホを離した。



母さん、私のこと気にかけてくれてたんだ。
誕生日プレゼントまで送ってきてくれるなんて・・・・。
母さん、ありがとう。



ユキはスマホ画面を見つめながら、心の中で母親に感謝するのだった。



スマホをテーブルの上に置くと、近くに置いてある封筒の束のひとつを取った。
封を開けて、中身を取り出し開けてみると、オーディションの合否結果が目に入った。
結果は不合格だった。



また不合格か・・・・・・。



ユキは深いため息をつきながら、開いた手紙をたたんで、開いた封筒と一緒にテーブルに戻した。
そして次の封筒に手を伸ばす。



次に開けた手紙もオーディションの合否通知だったが、結果は不合格だった。



これもダメだった。
次で今日は最後の手紙だ。
どうせこれも不合格なんだろうな・・・・・・。



ユキは半ばあきらめた感じで最後の1通の封筒を開け、中に入っている手紙を広げた。
手紙を読んでいくと、中央に「一次審査合格」という文字が書かれていた。
その文字を見た時、ユキは信じられないというように何度もその文字を見た。



え・・・・・・、これって一次だけど、次に進めるってこと?
一体、どこのオーディションだろう。



ユキが手紙の下の部分を見ると、俳優養成所の名前が書かれてあった。



そういえば、演技の勉強をしたいと思って、この養成所に入りたいって思ってたんだ。
入るにはオーディションがあるってサイトに書いてあったから、申し込んだんだった。
信じられない、一次審査に受かったなんて・・・・・・。



ユキはふと、窓の外の満月を見上げた。



少しだけ、前に進めたような気がする。
二次審査に合格すれば、養成所に入れる。
明日からまた頑張ってみよう。



満月を見つめながら、ユキはかすかながら見えている夢に向かって頑張ろうと思うのだった。