春のゆううつ
明るくてぽかぽか暖かい、春の太陽の日射しと穏やかな風が吹く昼下がり。
公園では1組の親子が遊んでいました。
砂場では小さな男の子が1人で遊んでいます。
そのすぐ近くにあるベンチには母親が座り、男の子を見ていました。
ユウマ、大丈夫かな・・・・・。
今はたまたま誰もいないけど、この後誰か来たら。
母親のアスカは砂場で遊んでいるユウマを見ながら、不安を感じていました。
ユウマは両親には何でも話をする元気な男の子ですが、外に出るとおとなしくなってしまい
緊張してしまうのか、何も話せなくなって黙ってしまうのです。
あと数日もすれば小学校の入学式だわ。
ユウマ、小学校で友達ができるといいけど。
引っ越してきたばかりで、知ってる人は誰もいないし。
このままだと不安だわ・・・・どうすればいいかしら。
すると砂場からユウマが出て来て、アスカに駆け寄って来ました。
「お母さん」
「どうしたの?ユウマ。もう砂遊びはしないの?」
「うん、もう飽きちゃった」
「そうか・・・・・・」
アスカは辺りを見回しましたが、公園には誰もいません。
こんなにいい天気なのに、誰も来ないなんて。
時間が悪かったかしら。しょうがないわ。
アスカは仕方なさそうに、ユウマの方を向いて言いました。
「なら、今日はもう帰ろうか?帰ったらおやつにしよう」
「うん!おやつは何?」
「その前に手を洗おうか。手が砂だらけだから洗ってきれいにしよう」
アスカは立ち上がって、ユウマを水道がある場所に連れていきました。
水道でユウマの手を洗い、きれいになった手をハンカチで拭こうと
アスカがトートバッグからハンカチを出そうとして、ユウマから目を逸らしました。
そしてハンカチを取り、再びユウマがいる方を見ると、ユウマの姿がありません。
慌てて辺りを見回すと、ユウマがどこかへ向かって走っていく後ろ姿が見えました。
「ユウマ!どこに行くの?ユウマ!」
アスカは声を上げると、慌ててユウマの後を追って走り出しました。
公園奥の茂みの中にユウマの姿を見つけると、アスカは大きな声で名前を呼びました。
「ユウマ!」
アスカの声にユウマは一瞬後ろを振り返りましたが、再び前を向いてしまいました。
アスカはユウマの側まで来ると、息を荒くしながらユウマに聞きました。
「ユウマ・・・・どうしたの?」
「お母さん」ユウマがアスカの顔を見て続けて言いました。「見て。しましまの猫がいるの」
「え・・・・・?」
アスカが前を見ると、目の前の茂みの中に、一匹の子猫が横たわっていました。
黄色と茶色のしましま模様の猫で、左の前足を舌でペロペロ舐めています。
その前足の先はケガをしたのか、赤くなっていました。
猫を見ていると、ユウマが話しかけてきました。
「手を洗ってる時に、この猫がこっちに走って行くのが見えたの。だから追いかけたんだ」
「でも、お母さんに黙って行っちゃだめでしょ?知らない人に声をかけられたらどうするの?」
「ごめんなさい」ユウマは謝ると、猫を見ながら言いました。
「とてもかわいかったから・・・・・でもこの猫、足をケガしてる。ペロペロしてケガを直そうと
してるのかな?」
「そうね。どこかでガラスか何か踏んだのかしら・・・・・・・」
アスカは再び子猫を見ました。
すると子猫の首に茶色の首輪が見えました。
この猫、飼い猫だわ。
近所にこの猫を飼ってる人がいるのかしら・・・・・・。
アスカは近くに猫の飼い主がいないか、辺りを見回しました。
見える範囲で飼い主を探しましたが、誰もいません。
誰もいないわ。
大きい猫だったら、放っておいてもよさそうだけど、こんな小さな子猫が一匹だけだなんて。
すぐ近くに飼い主がいてもおかしくなさそうなのに。
するとユウマがアスカに言いました。
「お母さん、この猫ケガしてるから、家で手当てするか、病院に連れて行こうよ」
「え・・・・・?この猫を家に連れて帰るの?」
アスカが戸惑っていると、ユウマはうなづきました。
「うん、だってこのまま見てるの、かわいそうだもん」
「それはだめよ」アスカはユウマを見て、さらにこう言いました。
「猫の首を見て。首輪があるでしょ?あの猫は誰かが飼っている猫なの。黙って連れて行くことはできないわ」
「えー・・・でも、このまま置いて行くのはかわいそうだよ」
「大丈夫よ。すぐにこの猫の飼い主さんがここに来るわ」
がっかりしているユウマに、アスカはそう言い聞かせました。
「だから大丈夫よ。そろそろ家に帰ろう」
「・・・・・うん」
アスカがユウマの手を握り、2人がその場を離れようと歩き始めました。
すると後ろから子猫が泣き始めたのです。
その声は2人を引き留めようとするかのように、必死に泣いているようでした。
それを聞いたユウマは振り返って、再び子猫がいるところへ戻っていきました。
後を追ってアスカも戻ると、ユウマは子猫を見ながらアスカに言いました。
「お母さん、やっぱり連れて帰ろうよ。でないとかわいそうだよ・・・・・」
「でも・・・・・」
アスカ子猫を見ながらそう言いかけました。
さっきまで泣いていた子猫は、すっかり泣き止んでいました。
ユウマが手を伸ばし、子猫の背中をさすり始めると、子猫はすっかりユウマになついているかのように
おとなしくなりました。
ユウマ、すっかり子猫になつかれてるわ。
明日またここに来れば、うまくいけば猫の飼い主さんに会えるかもしれない。
その時に子猫渡せばいいか・・・・・。
アスカはそれを見ると、仕方がなさそうにユウマに言いました。
「分かったわ。今日は連れて帰ろう」
「やったあ!」
「その代わり、家に帰ったらユウマが子猫のお世話をするのよ。いい?」
「うん!」
笑顔で喜んでいるユウマを見ると、アスカは子猫を両手で抱き上げました。
すっかりおとなしくなった子猫を見ながら、2人は公園を出て家に帰って行きました。
次の日、アスカは子猫の飼い主の事が気になり、ユウマと子猫を連れて公園に行こうとしましたが
外はどしゃぶりの雨が降っていて、外に行くのをあきらめました。
子猫の飼い主は悪天候の中でも、もしかしたら子猫を探しているのかもしれないとも思いましたが
子猫を連れて外に出ようとすると、ユウマが一緒に行くと言い出すかもしれなかったからです。
それに雨で地面が濡れているので、ユウマが足を滑らせて転んでしまわないか。
アスカはそれが心配だったのです。
それから数日間、雨の日が続きました。
ようやく天気が回復し、アスカはようやくユウマと子猫を連れて公園に出かけましたが
公園にいるのは子供達だけで、大人は1人もいませんでした。
子猫を探しているような子供もいなかったのです。
子猫の飼い主をどうやって探そうか、アスカは考えました。
子猫の写真を撮って、迷い猫として近所に張り紙をしようと思いつき、アスカは準備をしようと
ユウマを連れて近所の商店街へ出かけました。
遠くに商店街の入口の看板が見えてきた時、アスカは右側にある電信柱を見て、足を止めました。
電信柱には張り紙が貼ってありました。
張り紙には大きな文字で「探しています」と書いてありました。
その文字の下にある写真を見た途端、アスカははっと気が付き、あっと声を上げました。
「どうしたの?お母さん」
驚いているアスカにユウマは聞きました。
「この猫・・・・・・家にいる猫とそっくりだわ」
アスカは張り紙に近づいて、写真をじっと見つめています。
「お母さん、何を見ているの?」
ユウマが再びアスカに声をかけると、アスカはユウマの方を向いて言いました。
「ユウマ、家にいる子猫の飼い主が見つかったかもしれない。ここに探してますって張り紙があるわ」
「え?張り紙?」
「そうよ。子猫を探してますって。ユウマからは見えないか」
アスカがまだ背が低くて張り紙が見えないユウマを抱き上げようと、両手を伸ばしました。
そしてユウマを抱き上げようとすると、少し先の電信柱に、1人の女性が何かを貼っている姿が見えました。
あの人、電信柱に何かしてるわ。
もしかしたら、この張り紙を貼ったのは・・・・・・。
「お母さん、どうしたの?」
ユウマが再びアスカに声をかけると、アスカは気が付いてユウマの顔を見ました。
「ユウマ、もしかしたら子猫の飼い主が見つかったかもしれない」
「え・・・・・どこにいるの?」
それを聞いたユウマが辺りをキョロキョロしています。
「商店街の方よ。まだ飼い主かどうかは分からないけど。とにかく行って聞いてみよう」
アスカはユウマの手を握ると、そのまま商店街へと歩き出しました。
電信柱に張り紙を貼っている女性の近くまで来ると、アスカは後ろから声をかけました。
「あの、すみません」
女性がアスカの方を振り返ると、アスカは電信柱にさっきと同じ張り紙が貼ってあるのが見えました。
アスカはその女性に聞きました。
「その電信柱に貼ってある張り紙、向こうでも見たんですけど、猫の飼い主さんですか?」
「ええ、そうです」女性はうなづくと、続けて言いました。
「数日前に家からいなくなったんです。近所を探したんですけど、なかなか見つからなくて・・・」
「その写真の猫なら、家で預かっています」
「え、本当ですか!」それを聞いた女性は驚きました。「どこにいたんですか?」
「近所の公園で子供が見つけたんです」
アスカがユウマを見ると、その女性もつられるようにユウマを見ました。
すると後ろから声が聞こえてきました。
「お母さん」
3人がいっせいに声をする方を向くと、そこにはユウマと同じくらいの背丈の女の子がいました。
「ミオ、どこに行ってたの?」
女性が女の子に聞くと、ミオは3人を見ながら
「レオを探しに行ってたの」
「お子さんですか?」
アスカは女性の方を向くと、女性はうなづきながら
「娘のミオです。レオっていうのは猫の名前で。この子がつけたんです」
「そうですか・・・・・どうしますか?今から猫を引き取りに来ますか?」
「そうですね・・・・・今日はこれから予定がありますので、別の日に引き取りに伺いたいのですが」
女性が申し訳なさそうに答えると、アスカはうなづいてこう言いました。
「分かりました。それじゃ連絡先を教えますので、引き取る日が決まったら連絡してもらえますか?」
「分かりました」
そしてお互いの連絡先を交換すると、アスカはユウマを連れてその場を離れました。
それから数日後。
子猫の飼い主からアスカに連絡があり、近所の公園で子猫を引き取ってもらうことになりました。
ユウマを砂場で遊ばせながら、ベンチの上で眠っている子猫をアスカが見ていると
子猫の飼い主の女性とミオがやってきました。
「アスカさんですか?」
飼い主の女性がアスカに声をかけると、アスカは女性の方を向きました。
「あ、この間の・・・・・ユミさんでしたっけ。こんにちは」
「あ、レオだ!」
ベンチの上の子猫を見た途端、ミオは子猫の側へ近づきました。
「探していた猫に間違いないですか?」とアスカ
「はい、この猫です」ユミは子猫を見ながらうなづきました。「ありがとうございます。見つけてくださって」
「見つけた時は前足にケガをしてたんです。今はもうすっかりよくなりましたけど」
「そうだったんですか、すみません。ケガの手当までしていただいて・・・・・・・」
「いいえ、それに見つけたのは息子のユウマですし。どうしても連れて帰るって聞かなくて」
「そうだったんですか」
ユミは前の砂場で1人で遊んでいるユウマを見ると、ユウマに声をかけた。
「ユウマくん、レオを見つけてくれてありがとう」
ユミにお礼を言われ、ユウマが何も言えず黙っていると、ミオが砂場に入ってきました。
「お母さん、砂場で遊んでいい?」
「いいわよ」ユミがミオに答えると、続けて言いました「せっかくだからユウマくんと一緒に遊んだら?」
するとミオは隣にいるユウマを見ながら言いました。
「うん、ユウマくん、一緒に遊ぼう」
ユウマはしばらくしてからうなづきました。
「・・・うん!」
ユウマとミオが砂場で並んで遊んでいるのを、アスカとユミはベンチで座って見ていました。
ユウマ、女の子と遊ぶなんて慣れてないけど、大丈夫かな。
アスカが心配そうにユウマを見ていると、ユミがアスカの方を向きました。
「ところで家はこの近くですか?」
「え、あ、はい。この近所です」アスカは気が付いて戸惑いながら言いました。「まだ越してきたばかりですけど」
「そうなんですか!私も最近越してきたばかりなんです」
それを聞いたユミは思わず声を上げると、続けてこう言いました。
「知り合いも誰もいませんので、まだ友達もできなくて・・・・・」
「私も同じです。ユミさんは商店街の近くに住んでいるんですか?」
「商店街の近くというか、裏側です」
「そうですか。ところでミオちゃんはおいくつなんですか?」
「6歳です。ユウマくんは・・・・・」
「ユウマも6歳です。同じ歳なんですね、この間初めて見た時、そうじゃないかなって思ったんですけど」
「私もそうだと思ってました。偶然ですね。今度小学生ですよね」
「そうですね。もしかしたら同じ小学校になるかもしれませんね」
その後もアスカとユミは話をしていました。
一方、最初は戸惑っていたユウマも、ミオと遊んでいるうちにすっかり仲良くなっていました。
気が付いた頃にはすっかり夕方になっていました。
また一緒に遊べるといいねと言いながら、2組の親子は公園で別れ、それぞれの家へ帰って行きました。
そして数日後。
ユウマの小学校の入学式の日がやってきました。
体育館での入学式を終えて、アスカがユウマのいる教室に入ると
いるのは大人が数人いるだけで、まだ子供は誰もいませんでした。
まだ戻ってくるのが早かったかしら。
でも先に教室に行くように先生から言われたし・・・・・。
そう思っていると、後ろから声が聞こえてきました。
「アスカさん」
アスカが声が聞こえた方を向くと、そこには先日公園で会ったユミの姿がありました。
「ユミさん!」
「こんにちは。先日はありがとうございました」ユミはアスカの右横まで来ると、頭を下げました。
「同じ小学校でよかったです。それに同じクラスだなんて・・・・・・」
「びっくりしました。でもよかったです」アスカは驚きながらもほっとした表情で、続けて言いました。
「知らない人ばかりだと不安でどうしようかと思ってました」
「私もです。アスカさんがいてくれてよかった。心強いです」
「いいえ・・・・・・」
アスカがそう言いかけると、外の廊下からざわざわと騒がしい声が聞こえてきました。
子供達が次々と教室に入り、最後に女性の先生が入って扉を閉めると、辺りはシーンと静かになりました。
教室での先生の話が終わり、入学式が終わると、子供達がそれぞれの親のところに戻って行きました。
アスカが一番前の右端の席にいるユウマを見ると、隣の席の男の子と話をしています。
そして手を振って男の子が行ってしまうと、今度はミオがユウマに近づいて来ました。
そして2人で後ろを振り返り、アスカとユミを見ると、歩いて戻って来ました。
「ミオ、入学式はどうだった?」
ミオがユミの前で止まると、ユミは隣にいるユウマを見て言いました。
「うん、緊張したけど、ユウマくんと同じクラスでよかった」
「よかったわね。ユウマくん、これからミオと仲良くしてね」
「うん」
ユウマがうなづいて答えると、アスカがユウマに聞きました。
「よかったわね。ミオちゃんと友達になれて。他にも友達はできたの?」
「うん、さっき隣にいたカズくんと友達になったんだ。体育館でも一緒だったんだよ」
「そうなんだ」
ユウマの言葉に、アスカはほっと胸を撫でおろしました。
よかった。さっそくユウマに友達ができて。
ここならうまくやっていけそうだわ。
するとユミがアスカに話しかけてきました。
「よかったら外に出て、一緒に写真撮りませんか?」
「いいですね。一緒に撮りましょう」
アスカがうなづくと、ユミはユウマと一緒にいるミオに声をかけました。
「ミオ、ユウマくんと一緒に写真撮りに外に行こうか」
「うん!ユウマくん一緒に行こう」とミオ
「うん!」
ミオとユウマが一緒に教室を出ると、ユミとアスカは微笑みながら2人の後を追って教室を出て行くのでした。
教室の外の校庭の周りには、満開の桜が新入生を迎えるかのように咲いていました。