お家へ帰ろう

 



辺りは高い山々に囲まれ、建物よりも畑が多く広がっているある田舎の村がありました。
バス停の側に1台の小さな黄色いバスが停まりました。



うさぎや犬、ゾウやキリンのいろんな動物の絵が描かれている幼稚園バスです。
バスの扉が開くと、次々と小さな子供達が降りて来ました。



最後にシュンタがバスを降りると、右側から声が聞こえてきました。
「シュンタ」
シュンタは声がする方を向くと、母親の姿がありました。
シュンタは母親の姿を見たとたん、母親に駆け寄りました。
「お母さん、ただいま」
「お帰り、シュンタ。今日は何して遊んだの?」
シュンタが母親に抱きつくと、母親は微笑みながら聞きました。
「うん、今日はみんなでおゆうぎしたの。今度の発表会でみんなで踊るんだよ」
「そう。発表会で踊るの?それは楽しみね」



「お家に帰りましょう」
母親がそう言って2人で歩き始めると、すぐ側にいる女性が母親に声をかけました。
「シュンタくんのお母さん、ちょっと・・・・」
母親は立ち止まって後ろを振り返りました。
「あら、何か?」
「ちょっと伝えたい事があって、少しの間いいかしら?」
「いいわよ」
母親がそう言うと、シュンタの方を向いてこう言いました。
「ちょっと待ってて。お母さん話を聞いてくるから」
シュンタは黙ってうなづくと、母親はすぐ側のお母さん達の輪の中に入っていきました。



しばらくすると停まっていたバスが動き出し、バス停を去っていきました。
お母さん達の話はまだ終わりません。
シュンタはお母さん達の輪の外で、話が終わるのを待っていますが話は終わりそうもありません。
他の子供達はそれぞれ友達と話をしたり、家が近い子供はもう帰ってしまったりして
シュンタは1人でお母さん達の話が終わるのを待っていました。



まだ終わらないのかな。
早くお家に帰りたい。



シュンタはつまらなさそうにお母さん達を見ていました。



しばらくして、シュンタはある事に気がつきました。
車が通る道路の向こう側で、誰かがこちらをずっと見ているのです。
すぐ目の前にはお母さん達がいるので、シュンタからは誰がいるのかよく見えません。
シュンタは誰なのかが気になって、よく見てみようとお母さん達から離れて歩き始めました。



そして再び道路の向こう側を見てみると、青い着物を着たシュンタと同じくらいの小さな男の子がいました。



着物の男の子はシュンタを見ると、こっちに来るようにおいでおいでと手を振りました。
何度か手を振ると、シュンタに背を向けて走りだしました。



シュンタは着物の男の子がとても気になりました。
すぐ側にいる母親を見ると、他のお母さん達と話をしていて、まだ終わりそうにありません。
その場を動けず、どうしようか迷っていましたが、シュンタは道路を渡りました。
道路を渡ると、着物の男の子の後を追って走り出しました。



しばらくすると、歩いている着物の男の子の後ろ姿が見えました。
そしてようやく着物の男の子に追いつくと、シュンタは走るのをやめました。



シュンタが前かがみになって、息を整えていると、着物の男の子の声がしました。
「僕を追いかけてきてくれたんだね」
シュンタが顔を上げると、着物の男の子が嬉しそうな顔でシュンタを見ていました。
「う・・・・うん」
シュンタが着物の男の子を見ると、着物の男の子はこう言いました。
「なら、一緒に遊ぼうよ」
「うん、いいよ」
「やったあ。一緒に遊べるなんて嬉しいよ!」着物の男の子は嬉しそうに笑顔で言いました。
「僕はソウタ。君の名前は?」
「僕はシュンタ」
「じゃ、シュンタ。あっちに行こう」
ソウタが森の中の方を指差すと、2人は一緒に森の中へと入っていきました。



森の中に入った2人は、いろんな遊びをして楽しみました。
かけっこをしたり、かくれんぼをしたり、周りの草木を摘んでみたり。
草原の原っぱで横になったりもしました。



遊んでいるうちに、空がだんだんと赤く染まってきました。
太陽が赤くなり、空の遠くに沈んでいく頃、シュンタはお母さんの事を思い出しました。



空が赤くなってる。そろそろお家に帰らないと。



「ねえ、ソウタ」
シュンタの声にソウタが振り向くと、シュンタは少し寂しそうな顔で言いました。
「僕、そろそろお家に帰らないと・・・・」
「え、もう帰っちゃうの?」
それを聞いたソウタは驚きました。
シュンタはうなづきながら
「うん。空が赤くなったら帰ってきなさいって。お母さんから言われてるんだ」
「そうなんだ・・・・・」
ソウタは寂しそうな顔でうつむきましたが、すぐに顔を上げて言いました。
「うん、分かった」



「じゃ、またね」
シュンタがそう言って手を振ると、ソウタも手を振りました。
「うん。またね・・・・・」
シュンタは帰ろうとソウタに背を向けて歩き出しました。



少し歩いたところでシュンタは足を止めました。
そして後ろにいるであろうソウタに声をかけました。
「ねえ・・・・・・」
後ろを振り返ると、いるはずのソウタの姿はありませんでした。
風が吹き、草木が揺れてざわざわという音だけが辺りに響いていました。



シュンタは1人になった途端、寂しくなりました。
辺り一面、木々と草木に囲まれ、同じような景色が広がっています。
シュンタは家に帰るにも、どこから帰ればいいのか分からなくなってしまったのです。



どこから帰ればいいの?
どうやってお家に帰ればいいの?
分からなくなっちゃった。



僕、このままずっとここにいるのかな。
ずっとお家に帰れないのかな。
お母さんともう会えないのかな。
お母さん・・・・・・。



そう思うと悲しくなって、シュンタはその場に座り込んでしまいました。
どうすればいいのか分からなくなって、泣き出してしまいました。



しばらく泣いていると、すぐ側で聞き覚えのある声が聞こえてきました。
「どうしたの?」
シュンタが顔を上げると、側にはソウタがいました。
シュンタは泣きながら
「お家が・・・・どこなのか分からなくなっちゃった・・・・・」
「そうなんだ。お家に帰りたいんだね」
シュンタがうなづくと、ソウタは後ろを振り返りました。



すると1人の青い着物を着た、体格のいい男性がやってきました。
「どうしたんだ?」
「お家がどこか分からなくて、泣いてるんだ」
ソウタが男性に答えると、男性はソウタの隣で泣いているシュンタを見ました。
「迷子か。この近くに住んでいる子かな?」
男性はシュンタに近づくと、優しい声でシュンタに聞きました。



「坊や。この近くに住んでるのかな?」
シュンタは顔を上げ、男性の顔を見ながら言いました。
「うん。赤いポストがあるところのすぐ近く・・・・」
「坊や、名前は?」
「名前は・・・・・・シュンタ」
「そうか。分かった」
男性がうなづくと、うつむいているシュンタに笑顔で言いました。
「なら、お家まで送って行ってあげよう」



それを聞いたシュンタは思わず顔を上げました。
「おじさん、僕のお家が分かるの?」
「ああ、分かるさ」男性は笑ってうなづきました。「この村のことなら何でも知っているよ」
「どうして知ってるの?」
「それは昔からここに住んでいるからさ。少し待ってくれ。今すぐ送っていくから」
男性がシュンタから離れると、男性の姿がスッと消えてしまいました。



シュンタが男性が消えた場所を見ていると、再び何かが現れました。
それを見たシュンタは驚きました。
目の前に現れたのは、大きくて細長い体をした、青い色の龍だったのです。



シュンタが立ち上がって龍を見ていると、隣にいたソウタが話しかけてきました。
「もしかして、シュンタは龍を見るのは初めて?」
「え、う・・・・・うん」
戸惑いながらシュンタが答えると、ソウタは微笑みながら
「そうか。そうだよね・・・・・ここに長く住んでいる人達でも、僕達を見たことがないもの」
「え・・・・・?」
「お父さん、そろそろシュンタをお家に送って行こうよ」
「え・・・・お父さん?」
「うん。目の前にいる龍は、僕のお父さんなんだ」
ソウタはそう言った後、シュンタの目の前で小さな青い子供の龍に変わりました。



シュンタは何が起こっているのかよく分かりませんでした。
親子の龍の姿に何も言えず、茫然と見ていると、大きな龍がシュンタに言いました。
「さあ、背中に乗って。お家まで連れて行ってあげよう」



シュンタはゆっくりと大きな龍の背中にまたがるように乗りました。
「それじゃ行くぞ。しっかり背中に捕まってるんだ」
大きな龍はゆっくりと動き出すと、空へと向かって昇って行きました。
大きな龍の後を追って、子供の龍も空へと昇って行きました。



空は陽が落ちて、だんだんと暗くなりかけていました。
シュンタは最初は怖くて、大きな龍の背中を必死で捕んでいましたが
しばらくするとだんだんと怖くなくなり、辺りの景色を眺めていました。



真下には田んぼの緑が一面に広がっています。
その間にある道を赤い車が走っていたり、人々が歩いています。
それらが小さく見えるのを、シュンタは楽しそうに見ていました。



しばらくすると、シュンタが見慣れた建物が見えてきました。
「シュンタの家はあの赤いポストがある隣の家かな?」
大きな龍がシュンタに聞くと、シュンタは下を眺めながら言いました。
「うん。あの青い屋根のお家が僕の家だよ」
「分かった。じゃそこに降りるとしよう」



大きな龍が青い屋根の家の裏側に降りると、シュンタは龍の背中から降りました。
「ここで大丈夫か?」
大きな龍がシュンタに聞くと、シュンタはうなづきました。
「うん。ありがとう」
「もう暗いから気をつけて帰るんだぞ」
「うん」



すると子供の龍がシュンタの前に出てきました。
「シュンタ、今日はありがとう。一緒に遊んでくれて」
「うん」
「僕、嬉しかったんだ。神社の人は気がついてくれたけど、僕と同じ子供は気がついてくれなかったから・・・・」
「ソウタ、そろそろ帰るぞ」
子供の龍が途中まで言いかけると、大きな龍がそれをさえぎるように声をかけました。



大きな龍の方を向いて子供の龍がうなづくと、再びシュンタの方を向きました。
「じゃあね、シュンタ。僕達も帰るよ」
「うん、ありがとう」
「それから、今日のことは誰にも言っちゃだめだよ」
「どうして?」
「それは・・・他の人達に言っても分からないだろうから」
「え?」
「だから秘密にしよう。シュンタと僕達だけの秘密だよ」
「う、うん・・・・・分かった」
よく分からないままシュンタはうなづくと、子供の龍は笑顔でうなづきました。



親子の龍はシュンタから離れると、再び空へと昇り始めました。
そしてある程度の高さまで昇ると、山の方へと動き始めました。
動き始めたと同時に、親子の姿は空の真っ暗な闇に溶け込むように消えていきました。



シュンタが空を見上げていると、突然後ろの方から大きな声が聞こえてきました。
「シュンタ!」
シュンタが後ろを振り向くと、母親の姿が見えました。
「お母さん!」
シュンタの声が聞こえたかと思うと、母親はシュンタに駆け寄りました。
そしてシュンタを強く抱きしめました。



「シュンタ・・・・・よかった。無事でよかった・・・・・」
母親が泣いていると、シュンタは1人で森へ入ってしまった事を思い出しました。
思い出したとたん、謝りたい気持ちになり、シュンタも泣き出してしまいました。
「お母さん、ごめんなさい。1人でいなくなって、ごめんなさい・・・・」
「よかった・・・・見つかって本当によかった」
母親と一緒にシュンタを探していた数人の村人達に見守られながら
シュンタと母親はしばらく抱き合ったまま離れませんでした。



それからしばらく経った頃。
シュンタはバス停の近くで母親と一緒に幼稚園バスを待っていました。
お母さん達が話をしている側でバスを待っていると、シュンタはバス停の少し先のところで
シュンタのおばあさんの姿を見つけました。



「おばあちゃん」
シュンタがおばあさんのところまで行くと、声をかけました。
「ああ、シュンタか。幼稚園に行くところかい?」
おばあさんがシュンタの顔を見ると、シュンタはうなづきました。
「うん。おばあちゃんはここで何をしているの?」
「水龍神様にごあいさつをしようと思ってね」
「え、水龍神様?」
「ああ、水の龍神様のことじゃ。ここにほこらがあるじゃろう?」
おばあさんが右側を向くと、つられてシュンタも右側を向きました。
そこには小さな家のような形をした、前に扉がある木のほこらがありました。



おばあさんはほこらの扉を開けました。
中には大きな石があり、石には龍の絵のようなものが彫られてありました。



シュンタはそれを見て、家まで送ってもらった龍のことを思い出しました。



なんだか、この間見た龍にそっくりだ。



シュンタが石の龍を見ていると、おばあさんがシュンタを見て言いました。
「シュンタ、さっきからずっと石を見ているようじゃが、どうしたんじゃ?」
「ねえ、おばあちゃん」シュンタがおばあさんの方を向きました。
「水の龍神様って、この石にある龍のこと?」
「ああ、そうだよ」おばあさんはうなづきました。
「今は近くに大きなダムができて、川はなくなったんじゃが、昔は大きな川がこの村にあったんじゃ。
 大洪水で川の水が村を襲った時、水の龍神様が来て洪水を鎮めたという話があってな。
 それから村の人達は水の龍神様を村のあちこちに祀って、お祈りするようになったんじゃ」
「その水の龍神様って、青い色をした龍だったの?」
「青い色・・・・?そうじゃな。水の龍神様だから、そうだったかもしれん」
「その龍神様って、僕と同じ子供の龍もいたのかな?」
「子供の龍?どうしてそんなことを聞くんじゃ?」
「僕、この間青い龍を見たんだ。子供の龍も見たんだよ」
シュンタがそう言った途端、はっと気が付きました。
ソウタから、誰にも言ってはいけないと言われていたからです。



シュンタの話を聞いたおばあさんは言いました。
「青い龍を見た・・・・それってシュンタが夜遅く帰ってきた日かい?」
「・・・・・・」
シュンタが黙っていると、おばあさんはシュンタの顔を見ながら言いました。
「大丈夫、誰にも言わないよ。・・・・だからおばあちゃんに話してごらん」
「おばあちゃん。本当に・・・?僕の言うこと信じてくれる?」
シュンタは心配そうにおばあさんの顔を見ると、おばあさんは微笑みながらうなづきました。
「ああ、信じるよ。当たり前じゃないか。シュンタは嘘はつかない正直ないい子じゃ。だから話してごらん」



シュンタはおばあさんに森の中であったことを話しました。
話を聞いたおばあさんはしばらく黙っていましたが、小さな声でポツリと言いました。
「そうか、そんなことがあったのか・・・水の龍神様は今でもこの村を守ってくださっているんじゃな」
「おばあちゃん・・・・・?」
シュンタがおばあさんを見ると、おばあさんはシュンタに言いました。
「シュンタ。この間、村のみんなと一緒に森に入ったじゃろう?」
「うん、森の中にゴミが落ちてるから、きれいにしようって」
「その時にシュンタはどこを掃除してたんじゃ?」
「森の奥にある神社に行って、神社のおじさんと神社の周りを掃除してたんだ。おばあちゃんも一緒だったよ」
「そう、そうじゃ。その時にシュンタ・・・・神社の近くにある小さなほこらを見ていたじゃろう?」
「うん。ほこらの周りにたくさんゴミが落ちてたから、拾ってたんだ。扉が開いてたから、中もきれいにしたんだ」
シュンタの話を聞いたおばあさんは、納得したかのように深くうなづきました。



「そうじゃったのか・・・・・どうしてシュンタのところに水の龍神様が来たのか。そういうことじゃったのか」
「おばあちゃん、どういうこと?」
「水の龍神様がシュンタにお礼をしに来たんじゃ」
「お礼?」
「森のほこらをきれいにしてもらって、ありがとうって、水の龍神様がシュンタに会いに来たんじゃ。
 神社のあの小さなほこらは子供の水の龍神様のほこらじゃ。だから親子で出てきたんじゃろう。
 とてもありがたいことじゃ」



「この村は今も水の龍神様に守られている。この村にあるほこらを大事にしないといけないよ」
おばあさんはシュンタにそう言うと、ほこらの前でゆっくりと腰を下ろしました。
するとシュンタがおばあさんの左隣に来て聞きました。
「おばあちゃん。また水の龍神様に会えるかな?」
「いい子にしていれば、また会えるかもしれない・・・・きっとまた会えるさ」
おばあさんはほこらに向かって両手を合わせました。
隣にいるシュンタもほこらを見ながら両手を合わせました。



シュンタが両手を離した時、後ろからバスが停まった音が聞こえてきました。
「シュンタ!バスが来たわよ」
母親の声が聞こえてくると、おばあさんはシュンタに言いました。
「ほら、お迎えが来たよ。気をつけて行っておいで」
「うん!行ってきます」
シュンタは後ろを振り返ると、バス停に向かって走り始めるのでした。