変えられた現在

 



激しい横揺れが続く中、千尋と蒼太は海岸で抱き合っていた。
最初は倒れないようにお互いを支えあうようにしていたが
あまりにも激しい揺れに立っていられなくなり、そのまま座り込んでしまった。



まだ揺れてる・・・・・こんなに大きな地震は初めてだわ。
これからどうなるの?とても怖い・・・・・・。



蒼太の腕の中で、千尋は恐怖を感じながら両手で蒼太にしがみつくように捕まっていた。



しばらくすると揺れが収まった。



揺れが止まった・・・・・・?



蒼太は戸惑いながら辺りを見回してみると、辺りは誰もいない。
音もなく静かな空間が広がっており、蒼太はそれがとても不気味に感じた。



何だろう、このやたら静かな雰囲気は・・・・・・・。
それに体がとても暑い。
暑い・・・・・・?



蒼太は自分が何をしているのか気が付くと、はっとして思わず千尋から両手を離した。
「ち、千尋さん・・・・・大丈夫ですか?」
急に照れくさくなった蒼太は千尋から少し離れた。
千尋も同じなのか小さくうなづきながら
「は・・・・・・はい、大丈夫です」と視線を蒼太から海岸に移した。



海岸を見た千尋は立ち上がりながら、異常な光景を目にした。
さっきまで足元まで海水が来ていたが、今は全く海水がないのだ。
それに普段は海水で底が見えない場所が、今は底が見えている。
「蒼太さん、おかしいわ・・・・・・さっきまで海水がそこまで来ていたのに」
「さっきの地震のせいだ」
千尋の話を聞いて蒼太が立ち上がりながら答えた。「かなり潮が引いてる。もしかしたら津波が来るかもしれない」
「でも、防波堤があるわ。大丈夫よ」
「それならもう作動してもおかしくない。でもいつも鳴る警告音がないな・・・・・・」
「警告音がなくてもきっと動くわ。そろそろ動き出すんじゃないかしら」
「でも、やたらと静かだ・・・・・・不気味なくらい」
すると後ろから大きな声が聞こえてきた。
「あんた達、すぐにそこから離れた方がいい!津波が来るよ!」



2人が後ろを振り返った途端、どこかから防災無線が聞こえてきた。
それと同時に千尋が持っているスマホからもけたたましい音が鳴り響いた。
千尋がスマホを出し、画面を見ると「津波発生、今すぐに命を守る行動を!」という表示が出ている。
千尋が顔を上げ、蒼太の方を見ると、そこに中年の女性が声をかけてきた。
「あんた達、いつまでそこにいるの!早く一緒に山の方へ逃げよう!」



2人が中年の女性を見た途端戸惑った。
女性の後ろには大勢の人達が列を作り、山の方へと走って行っている。
道路は車で避難しようとしている車の列ができていて、ゆっくりと動いているようだった。



どうして・・・・・防波堤があるのに、どうしてみんな避難しているの?



千尋が疑問に思っていると、蒼太が中年の女性に聞いた。
「海岸に防波堤があるじゃないですか?まだ動き出してはいないみたいですけど・・・・」
「防波堤?」それを聞いた女性が思わず聞き返した「防波堤なんて、そんなの聞いたことないよ」
「え・・・・・・・?」
すると後ろで話を聞いていたのか、いきなり作業着姿の男性が話に入ってきた。
「防波堤を設置する話だったら、とっくに中止になったよ」
「え?それってどういう意味ですか?」
「あんた達知らなかったの?しばらく大地震が来ることはないだろうって、数年前に議会で中止になったんだよ」
それを聞いた2人は驚いた。



そんな・・・・・防波堤がないことになってるなんて、どういうことなの?



「蒼太さん・・・・・・」
「状況が前と変わったんだ」千尋が蒼太の方を向くと、蒼太は海の方を見た。
そしてまだ津波が来ていないと分かると千尋の方を向いて
「ありえない事だけど、もしそうならここから早く逃げるしかない。津波が来る前にバイクで逃げよう」
「ああ、そうした方がいいよ」と中年の女性が割り込んできた。「バイクがあるなら、それに乗った方がいい」
「そうします。ありがとうございました。千尋さん、行きましょう」
蒼太がその場から走り出すと、千尋も後を追って走り出した。



2人がバイクの置いてある場所に着くと、急いでバイクに乗り込んだ。
蒼太がハンドルを握り、エンジンをかけるがバイクは何の音もしない。
「どうしたんだ?何とも反応しない・・・・・・・・」
蒼太が何度もエンジンをかけているが、バイクは何も反応しない。
「どうしたの?」と千尋
「バイクが動かないんだ」
蒼太はおかしいと思い、運転席の画面を見た。



画面のある場所を見た途端、蒼太は思わず大声を上げた。
「くそっ!」
両手で思いきり画面を叩いていると、後ろから千尋が心配そうに声をかけた。
「どうしたの?」
「燃料がなくなった・・・・・・・バイクが動かない」
「え・・・・・・!?」
蒼太はうつむいたまま、なぜ燃料がなくなったのか頭の中を巡らせた。



千尋さんを探しに行った時に、街のすみずみまで行ったからだ。
本当だったら1回で戻ってくるはずだったから、そこまで燃料も入れてなかったはず・・・・・。
それが裏目に出たかもしれない。
こんな時になくなるなんて・・・・・・。



蒼太は顔を上げてバイクを降りると、千尋は既にバイクを降りていた。
「バイクが動かないなら、急いで山へ行きましょう。まだ間に合うわ」
千尋がそう言うと、蒼太は海を見ながら
「まだ津波は来てない・・・・・・とにかく急ごう」とバイクから離れて走り出した。



2人が海岸を出て、ゆるやかな坂を走っていくと、さっき出会った中年の女性の姿が見えた。
「あら、あんた達。バイクで行くんじゃなかったの?」
2人の姿を見かけた中年の女性が話しかけてきた。
「あ、さっきの・・・・・」千尋は中年の女性を見かけると一瞬足を止めて、早歩きになった。
千尋と中年の女性に気が付いた蒼太も早歩きに切り替えながら
「バイクの燃料が切れたんです。それで・・・・・・・」
「そうだったのかい、それは大変だったね。バイクは海岸に置いてきたの?」と中年の女性
「は、はい。そうなんです」
「動かないんだったらしょうがないね・・・・・・」
「おーい!」
中年の女性が話をしている途中で数メートル先の方から男性の大声が聞こえてきた。
「歩いている場合じゃない!後ろから津波が来てるぞ、急げ!走るんだ!」



千尋が後ろを振り返ると、周りの人達もいっせいに後ろを振り返った。
すると数メートル後ろの道路に海水が流れこんでいるのが見えた。
津波の大きな波がだんだんと道路を濡らしていく。
「だんだんこっちに来てる・・・・・急ぐんだ!」
蒼太と千尋は再び山へと走り出した。



津波は海岸から道路へと迫り始めていた。
道路上の車は山の方へ向かう車で渋滞を起こし、中には車を捨てて山の方へと走り出す人も出てきた。
山へ続く道はすっかり人という人で埋め尽くされていた。



しばらくすると空は黒い雲ですっかり覆われていた。
冷たい風がヒュウヒュウと音を立てて吹き始めている。
「空がいつの間にか暗くなってる・・・・」
坂を上りながら、千尋は空を見上げた。
蒼太も空を見ながら
「それに空がいつもより真っ暗だ。冷たい風も吹いてる・・・・・嵐になるかもしれない」
「そんな・・・・・津波の次は嵐だなんて」
「とにかく山の頂上へ行こう。その方が安全だ」
蒼太がそう言った途端、雨粒が空から落ち始めた。



ほどなくして辺りは大粒の雨が降り始めた。
ザーという大きな音を立て、スコールのような大雨があっという間に地面や周りを濡らしている。
雨に濡れながら、2人が山へ向かって行くと、突然どこかから大声が聞こえてきた。
「おい!行くのはそっちじゃない!危ないから今すぐ戻るんだ!」



それを聞いた2人が声のした方を向くと、1人の女性が海へ向かって走っていく姿を見かけた。
白いワンピースに腰まで伸びた黒髪の女性の姿に、千尋はどこかで見覚えがあった。



あれは・・・・・・美樹?



「おい!聞こえないのか?津波が来てる、早く戻るんだ!」
再び大声が聞こえてきたが、女性は全く反応することなく、だんだんとその姿が遠くなっていく。
千尋が遠のいていく女性を見ていると、蒼太が女性を見ながら千尋に言った。
「千尋さん、先に山の頂上へ行っててもらえますか?」
「え・・・・・・?」
「オレはあの人を連れ戻してきます」
「え・・・・・あ、ま、待って!蒼太さん!」
蒼太が走り出そうとすると、千尋は不安になり慌てて蒼太を呼び止めようと声を上げた。
すると蒼太は千尋の方を向いた。
「大丈夫です。あの人を助けたらすぐ戻ってきますから」



蒼太が走り出し坂を下り始めると、千尋は蒼太の後を追おうとした。
するとすぐ側にいた男性が千尋の右腕をつかんだ。
「あんたは行かないほうがいい。今坂を降りたら危険だ」
「で、でも・・・・・・」と千尋
「大丈夫だ。すぐ連れ戻して来るだろう。私たちは先に山で待っていた方がいい」
「そうだよ」いつの間にかさっき出会った中年の女性がいた。「心配かけないように先に山へ行ったほうがいいよ」
「みんな山に入り始めてる。我々も一緒に行こう」
「大丈夫だよ。私もあんたの側にいるからね。きっとまた会えるよ。だから一緒に行こう」
周りに説得された千尋は戸惑いながらも、山に入るしかなかった。



一方、蒼太は坂を降りて行く女性の後を追っていた。
「津波が来てる!海へ行くのを止めるんだ!」
大声を上げながら、蒼太は女性の後を追っていくと、いきなり後ろから何者かに両腕で体を取り抑えられた。
「待ちなさい!」
「だ、誰だ?放せ!放してくれ!」
蒼太は後ろを振り返るとそこには両腕で蒼太の体を抑えている白髪の男性がいた。
蒼太は白髪の男性を見た途端驚いた。
「お前、どうしてここに・・・・?」
「あなたこそ、こんなところで何をしているんですか」蒼太の体を抑えたまま白髪の男性は続けて聞いた。
「ところであのお嬢さんは?」
「千尋さんなら、先に山に行くように言っている。今頃は山に登ってるはずだ」
蒼太は放してくれというように足を前へと動かそうとするが、白髪の男性の抑えている力が強くて動かない。
「放してください、早くあの人を助けないと・・・・・・」
「いいえ、放しません」白髪の男性はきっぱりと否定した。「それに今あの女性を追いかけても手遅れです」
「どうしてそんな事が言えるんだ?今からでも間に合うかもしれないじゃないか」
「今行ってももう手遅れです。あの女性はもう助かりません。それに今行ったらあなたまで死んでしまいますよ」
「でも・・・・・・・・」
「あのお嬢さんを悲しませたくなかったら行くんじゃない!」
白髪の男性が蒼太を叱るように声を上げると、蒼太の動きがピタリと止まった。



蒼太の動きが止まると、白髪の男性は坂を降りて行く女性を眺めた。
「本来ならばあの女性はとっくに亡くなっているはずなんです。なのにある事情でこうなってしまった・・・・」
蒼太が坂の下の方を見ると黒髪の女性の姿はすでに遠く、強い雨でだんだんと姿が見えなくなっていっていた。
「え?・・・・・それは一体どういうことですか?」
「ある事情によって過去はおろか、この今でさえも本来のものでなくなっている。本来ならばこんな大地震は
 起こらなかったはず。なのにこんなことになろうとは・・・・・」
「え・・・・・・?本当なら地震は起こらなかったって、一体何が起こっているんですか?」
「君達を巻き込みたくはなかったが、こうなっては仕方がない」
何が起こっているのか理解できない蒼太の体を抑えたまま、白髪の男性は空を見上げた。
蒼太と白髪の男性の姿は一瞬にしてその場から消え去った。



蒼太が気が付くと、辺りの景色が変わっていた。
辺りは細長いビルがそびえ立ち、目の前には遠くに海が見えている。
海からは次々と津波がこちらへと押し寄せてきているのが見える。
「ここは・・・・・・?」
蒼太が辺りを見回していると、白髪の男性が左横から姿を現した。
「ここはビルの屋上だ。かなり高いところだが、それより高い津波が来るかもしれない。
 あまりゆっくりはできないとは思うが、落ち着いて話ができる場所はここしかなかった」
「ビルの屋上・・・・・・」
蒼太は海に近い場所を見ると、津波で壊されたのか建物の屋根や窓が破壊されているのが見えた。
道路には大木や車が津波に流されてきたのか、大きく破損した状態で放置されている。



蒼太は顔を上げると、再び白髪の男性に聞いた。
「さっきの話ですが・・・・・一体何が起こっているんですか?」
「我々が初めて会った時の事を覚えているかな?」白髪の男性は蒼太に向かって聞いた。
「確か・・・・2年前の街で会いました」
「そうだ。2年前のあの街で本当ならば地震が起こるはずだった。なのに起こらなかった・・・・・・」
「もしかしたら、そこから過去が変わってしまったということですか?」
「過去が変わったのはもしかしたらもっと前からかもしれない。はっきりした事は分からないが・・・
 とにかく過去を変えてしまったせいで今のような事態が起こっていることは確かだ。ある人物のせいでね」
白髪の男性は視線を蒼太から海へと移すと、大きな津波が押し寄せてくるのが見えた。



それを聞いた蒼太は白髪の男性を見た。
「ある人物?それは一体誰なんですか?」
「それはまだ・・・・・その人物が今回の事態を引き起こしたかどうか、はっきりしていないから答えられないが
 このままだと未来まで変えられてしまう恐れがある。それはどうしても避けたい」
「未来までだって?」
「ああ。君とあのお嬢さんとの関係もこのままだと変わってしまうかもしれない。過去も変わってしまうと
 お嬢さんと元々会っていなかったことにもなるかもしれない」
「何だって・・・・・」
「それに今回の事は時間警察も関わっている可能性も出てきている。一部なのか組織ぐるみなのかはまだ分からないが」
「時間警察が・・・・・・!?」
「とにかく今のこの状況から本来の状態に戻さなくてはいけない」白髪の男性は蒼太の顔を見た。
「本当ならば君を巻き込みたくはなかったが、こんな状況になってしまった・・・・君に手伝って欲しいことがある」
「え・・・・・・?」
白髪の男性の言葉に、蒼太は戸惑った。
そして続けてこう聞いた。
「あんたは一体・・・・・・何者なんだ?」



一方、千尋は他の人達と一緒に山の中腹の広場に来ていた。
雨はだんだん弱くなってきているが、まだ止んではいない。
人々は広場の至るところで休憩を取っていた。
千尋が石碑の近くに立っていると、どこかから声が聞こえてきた。
「おい、ここにいて大丈夫なのか?津波がここまで来たら・・・・・・・」



千尋が不安に思っていると、石碑の前に1人の年老いた男性がゆっくりと出てきた。
そして声のした方に向かって大きな声で話し始めた。
「大丈夫じゃ。ここまで来れば津波は来ない。目の前にある石碑はな、昔大地震があった時に津波がどのくらいの高さまで
 来たかを書き残したものじゃ」
そして石碑に近づくと、石碑の文字を見ながら
「これによるとこの広場の少し下のところまで津波が来たと書いてある。だからここから上へ行けば津波は来ないということじゃ」
 


この石碑、昔の地震の事を書いたものだったんだ。
いつもはあまり見た事なんてなかったけど、そんな大事な事が書いてあったなんて。



千尋が石碑を見ていると、後ろで中年の女性が声をかけてきた。
「そろそろ私達も頂上へ行こうか。下から次々と上がって来ている人達がいるからね」
千尋はうなづくとふと蒼太の事を思い出した。



そういえば蒼太さん、あれから姿が見えないけど、一体どうしたのかしら・・・・・・・・。



一方、ビルの屋上で蒼太は津波が押し寄せている海を見ていた。
白髪の男性の話をひと通り聞いた蒼太は最初戸惑っていたが、しばらく考えた末、心が決まった。
蒼太は白髪の男性の方を向いて
「分かりました。オレが出来るのは大した事じゃないかもしれないけど・・・・手伝えることがあるのなら、手伝います」
すると白髪の男性は蒼太を見ながら、静かにうなづいた。
「なら、さっそく行こうか」



白髪の男性は前へ2,3歩歩くと、目の前に何かが現れた。
それを見た途端、蒼太は驚きの声を上げた。
「これって・・・・・・海岸に置いて来たオレのバイクじゃないですか!」
「海岸で偶然見かけたから、これからある場所に行くのにちょうどいいと思ってね」
白髪の男性がバイクに近づき、運転席のある画面に触れるとエンジン音がなり始めた。
蒼太はさらに驚いた。
「どうして・・・・・・燃料がなくなって動かなくなったはずなのに」
「君が一緒に行くだろうと思って、燃料を入れておいた。満タンにしてあるから当分大丈夫だろう」
蒼太が信じられないという顔でバイクに近づき、運転席の画面を見ると、燃料の画面がFULLと表示されているのが見えた。
「本当だ・・・・・ありがとうございます」
蒼太はお礼を言うと、白髪の男性はこう言った。
「じゃ、そろそろ行こうか。2年前のある場所へ。行先は私の方で入力済みだ」
蒼太はうなづくと、運転席へと乗り込んだ。
白髪の男性が後部座席に乗り込むと、蒼太は運転席のある画面を押した。



2人が姿を消した途端、海から大きな津波が再び押し寄せてきた。
津波は2人がいたビルまで到達すると、道路はたちまち海水で埋め尽くされていった。



しばらくしてようやく山の頂上へ着いた千尋は、遠くに見える海を見た途端愕然とした。
津波はまだ街へと押し寄せ、その街は高層ビル以外の建物は津波で流され、ぐちゃぐちゃに壊れていたり
車や大きな木々やいろんなものが津波によって流されているのが見えた。



そんな・・・・・・こんな事になっているなんて。



遠くに広がっている光景を千尋は信じられないという思いで見ていた。



蒼太さんの姿が見えないわ、一体どうしたのかしら。
もしかしたら津波に・・・・・・・?
そんな・・・・・そうなってるなんて思いたくないわ。
きっと、どこかで生きてる。
こっちに向かってるかもしれないわ。きっとそうよ。



蒼太の事を不安に思いながらも、千尋は自分にそう言い聞かせていた。