星の鏡シリーズ番外編 森のこもれび
ある晴れた日の森の中。
さわやかな風が吹き、木々の葉を揺らし、ざわざわという音をたてている。
そんな森の中を駆け抜けていくひとつの小さな影。
青空から日射しが差し込む中、トイヴォは和尚のいる寺院へと走っていた。
しばらくして寺院に着くと、トイヴォはドアを開けた。
「和尚様、トイヴォです」
トイヴォは正面にある部屋を見るが、和尚の姿はなかった。
和尚の返事もなく、トイヴォは辺りを見渡すが、誰の姿も見当たらない。
トイヴォは中に入ると、誰かいないか辺りを見回しながら廊下を歩き出した。
他の部屋や台所を見るが、誰の姿も見当たらない。
リンネアもいない。もしかしたら山神様と散歩に行ってるのかもしれない。
和尚様も一緒に行ってるのかな。
トイヴォはそう思いながら、一番奥の和尚の部屋のふすまを開けた。
部屋に和尚の姿はなかった。
トイヴォは中に入ると、ゆっくりと辺りを見回した。
大きな仏像や花瓶に飾られている一輪の花。
壁には見慣れない文字や写真が並べられている。
トイヴォは右側の壁を見た。
壁にはたくさんの写真が貼られているが、中央にある大きな写真に目を留めた。
中央に5人ほど2列になって並んでいる集合写真だった。
トイヴォはその写真に興味があった。
以前和尚がタハティリンナを建てる時に撮った写真だと聞いたトイヴォは
その頃の話をもっと聞きたいと思っていた。
その写真にはユリウスとカレヴィも一緒に写っていて、2人の事についても話を聞きたいと思っていた。
今日は話を聞けるかな。
トイヴォが写真を見ていると、どこかから物音が聞こえてきた。
そして廊下の方から足音が聞こえてくると、和尚が部屋に入ってきた。
「トイヴォ。来ていたのか」
「あ、和尚様」
和尚の声に気が付くと、トイヴォは和尚の方を向いた。「山神様と一緒だったんですか?」
「いいや」和尚は首を振った。「ちょっと用があって外に出ていたんじゃ」
「そうですか」
「ところでトイヴォはその写真が気になるのか?」
和尚が壁の写真を見ると、トイヴォは深くうなづきながら
「はい、それにもう少し詳しい話を聞きたくて」
「詳しい話?」和尚は思わず聞き返した「それならかなり前に話したはずじゃが・・・・・」
「前にも聞きましたけど、もう少し詳しい話を聞きたくて」
「詳しい話・・・・例えば?」
「どこでユリウスさんとカレヴィさんに会ったのか、タハティリンナをどうして作ったのか、それと・・・・
和尚様はどこかのお寺で修行をしてたのかも」
「昔の事をもっと聞きたいというわけじゃな・・・・・・・」
トイヴォがうなづくと、和尚は壁の写真を見ながら黙り込んだ。
和尚が黙っていると、トイヴォは気になって話しかけた。
「どうしたんですか?それとも聞いてはいけなかったでしょうか」
「いいや。そんなことはない」和尚はトイヴォの方を向いた。
「昔の事に興味を持つのは悪いことではない。そうじゃな・・・・・話をしておいた方がいいかもしれんな。
今後何かあった時のためにも」
「え?」
「ここでは何だから、お茶でも飲みながら話をしよう。向こうに移動しようか」
和尚はトイヴォに部屋を出るように促すと、部屋を出てゆっくりと廊下を歩き始めた。
2人は玄関前の部屋に移動すると、和尚はお茶が入ったコップをトイヴォの前に置いた。
和尚はトイヴォと向かい合わせに座ると、ゆっくりと話を始めた。
「もうかなり昔の話じゃ、私はここからかなり遠くのある寺院で修行をしていた。
小さい頃・・・・・物心ついた時からその寺院にいたから、ずっとその寺院で修行を積むものと思っていた」
「小さい頃から・・・・寺院にはお父さんとお母さんも一緒だったんですか?」
「いいや」和尚は首を振った。
「昔起こった戦争で亡くなったと御師匠様から聞いた。両親が亡くなって孤児になった私を御師匠様が引き取り、寺院に連れて来たと聞いた」
「・・・・・・・」
「寺院で育った私は御師匠様の元で修行を積んで行った。御師匠様の後を継ぐだろうと私も周りの者も思っていたんじゃが・・・・・
それがある日がらっと変わってしまったんじゃ」
緑が生い茂っている山の奥深くに、大きな寺院があった。
寺院の外では黄土色の袈裟を身に着けた人々が行き交っている。
その中に、1人の若い僧侶が寺院に向かって歩いていた。
寺院の中に入ると、若い僧侶はある部屋に向かってそのまま歩いていた。
そして部屋に着き、中に入ると、部屋の奥で横たわっている1人の老僧の姿があった。
老僧の両側には、同じ袈裟を着た中年の僧侶が2人、老僧を見守るように座っている。
若い僧侶が老僧に声をかけようとすると、老僧は見計らったように声を上げた。
「おお、来たか・・・・・・」
若い僧侶が老僧の側まで来ると、老僧は側にいる2人の僧侶に声をかけた。
「申し訳ないが、しばらく席を外してくれないか。2人きりで話がある」
2人の僧侶がいなくなると、若い僧侶は老僧の右側へと近づいた。
老僧を見ると、体はかなりやせ細り、顔も痩せこけ、すっかり弱っているように見える。
「御師匠様・・・・お体の方は大丈夫なのですか?」
すると老僧は若い僧侶の方を向きながら
「さあな・・・・・もう私も若くはない。自分はもう先は長くはないだろう」
「・・・・・・」
「ところでお前はどうするんだ?これからもこの寺院で修行を積むつもりか?」
「私は・・・・・・・・」
「もうこの寺院には誰一人、お前に教えるものはいない」
老僧は若い僧侶から目を背けると、布団の中で何やらもぞもぞと動きだした。
しばらくしてその動きが止まると、老僧は再び若い僧侶を見た。
「私がお前に教えるものは全て教えた・・・・・・私が死んだら、お前はここから出て行った方がいい」
老僧の言葉に若い僧侶は戸惑った。
「御師匠様・・・・・・」
「今の寺院の状況はお前も察しているだろう。この寺院の最高指導者になりたいという願望のために
ある1部の僧侶達によって、この寺院が汚されておる・・・・・。このままではこの寺院は地に落ちるだろう。
そうなる前に、お前はこの寺院から出た方がいい」
「・・・・・・・」
「お前は私が認めた唯一の後継者だ。私からお前に教えるものはこれ以上はない」
老僧は布団からゆっくりと2本の巻物を出すと、若い僧侶に差し出した。
「出て行くのであれば、これを持って行きなさい」
若い僧侶は最初受け取るのを躊躇していたが、老僧は受け取るまでずっと巻物を差し出したままだった。
戸惑いながら巻物を受け取ると、老僧は両手を布団の中に戻しながら
「すぐ袈裟の中に入れるんだ。それは誰にも見せてはいかん。寺院の外に出るまでは誰の目にも触れてはいかん」
若い僧侶は慌てて巻物を袈裟の中に隠した。
するとそれを見届けた老僧は安堵した表情を見せながら
「用はそれだけだ・・・・・もう行っていいぞ」と若い僧侶に言い残し、両目を閉じた。
小さな寝息を立てて眠っている老僧の姿を見ながら、若い僧侶は静かに部屋を出て行った。
若い僧侶の指導者である老僧は数年前から病気になっていた。
寺院の最高指導者の1人でもあった老僧が病気になり、次の最高指導者は誰になるかで寺院内では
数人の僧侶が支持者を集めようと争いが起きていた。
中には金で他の僧侶を買収し、支持者を集めようとしている僧侶もいるという噂まで広がり
若い僧侶はそんな状況が嫌になり、寺院を出ようと思っていたのだった。
その日の夜、老僧が亡くなった。
若い僧侶がそれを知ったのは次の日の早朝になってからだった。
老僧が亡くなったことで、辺りはますます次の最高指導者は誰になるのかで騒がしくなった。
若い僧侶は周りの事は気にせず、寺院を出る準備を始めるのだった。
そして老僧の葬儀が終わった次の日の早朝。
片手に最低限の荷物が入ったカバンを持って、若い僧侶は外に出た。
寺院を出ることは周りの僧侶達には話してはいなかったが、寺院の入口にさしかかると
待っていたかのように数人の若い僧侶の姿があった。
それを見た若い僧侶は戸惑った。
黙ったまま通り過ぎようとすると、1人が話しかけてきた。
「私達もこの寺院を出ます。よかったら一緒に連れて行ってもらえませんか」
若い僧侶は立ち止まり、後ろを振り返った。
「・・・・・どこに行くか全く決めていない。それでも一緒に行くか?」
「はい!」
「・・・・・・・」
若い僧侶は前を向くと、再び寺院の外へと歩き始めた。
数人の僧侶が後に続いて寺院を出て行くのだった。
「・・・・・とまあ、こういう感じじゃったかな」
和尚が話を終えると、前に置いてあるコップを右手で取り、お茶をすすった。
すると今まで話を聞いていたトイヴォが和尚に聞いた。
「和尚様は寺院に残るつもりは全くなかったのですか?」
「全くなかったわけじゃない」
和尚はコップを床に置くと、トイヴォを見ながら話を続けた。
「その頃の寺院はすっかり金欲と権欲に溺れた者ばかりで、本来の教えからはすっかりほど遠いものになってしまった。
そんな状況の中にいたら、いつか自分もそうなってしまう。だから本来の教えをさらに深く追求するために、寺院を出ていったんじゃ」
「寺院を出て行くって、誰にも話していなかったんですよね?他の人達はどうして知ったんでしょうか?」
「御師匠様の世話をしていた人の数人には寺院を出るって話をしていた。おそらくそれをどこかから聞きつけたんじゃろう。
話を聞いたら、自分と同じ理由じゃった。寺院の状況に嫌気がさしたってね」
「それで・・・・・その寺院は今でもあるんですか?」
「さあ」和尚は首を横に振った。「もうかなり昔の話じゃからな。その寺院が今もあるのか、どうなっているかは全く分からない。
風の便りも噂も聞かない。それにもう気にしていないからな」
「それで、しばらくは数人で一緒に旅をしていたんですか?」
「しばらくの間はな」
和尚は右側の庭を見ると、庭から爽やかな風が部屋の中に入ってきた。
トイヴォはつられて庭を見ていると、和尚は再びトイヴォの方を向いた。
「一緒について来た連中は私よりも修行が浅い連中でな。旅が長くなるにつれて脱落する者が出てきた。
立ち寄った町にそのまま残ったり、断食が数日続いたりした時もあって、そのうち誰もついてこなくなったんじゃ」
「じゃ、和尚様だけになったんですね。それでどうなったんですか?」
トイヴォが和尚の方を向くと、和尚は再びコップを右手に持った。
「しばらくは立ち寄る町や村が何もなくてな。山道が続いて断食も長い間続いて大変じゃったんだが、そこである出来事に出くわしたんじゃ」
若い僧侶は森の中を歩いていた。
辺りは高い木々と緑に囲まれ、あぜ道を歩いて行くと崖がだんだんと近くに見えてきた。
このまま行くと崖で行き止まりだ。もしかしたら左右のどちらかに道があるかもしれない。
そう思いながら若い僧侶は歩き続けた。
しばらく歩いて行くと、開けた場所に出た。
周りは木々に囲まれて、崖の前にも高い木々が生い茂っている。
木々以外は何もなく、若い僧侶は崖を見下ろしながら足を止めた。
若い僧侶は腰に下げている水筒を手に取った。
水筒に入っている水を飲もうと口に近づけ、水筒を上に上げた。
そして水を飲み干してしまうと、若い僧侶は困ったように顔を曇らせた。
水をすっかり飲み干してしまった。
この近くに川か何かあればいいんだが・・・・・・・。
若い僧侶は辺りを見回した。
しかし見えるのは高い木々ばかりで、川の水の音も聞こえない。
聞こえて来るのは鳥のさえずりや風の音だけだった。
仕方がない、川がありそうな場所を探そう。
若い僧侶はその場を離れようと右足を前へと動かした時、上の方で何かがいる気配を感じた。
若い僧侶が崖の方を見上げると、小さな人影が見えた。
崖の上に、1人の小さな男の子が立っていた。
短髪で髪が白く、かなりやせ細った姿をした男の子は崖の下を覗き込んでいる。
子供だ。崖の下を覗き込んでいる。もしかしたらそのまま飛び降りるんじゃ・・・・・・。
若い僧侶は崖の上の男の子を不安そうに見ていると、男の子は目をつぶりながら崖から身を投げた。
それを見た若い僧侶は、崖の方へ駆け出して行った。
あんな小さな子供が、なんてことを!木々の枝に引っかかっていればいいが・・・・・・。
若い僧侶は男の子を救おうと崖に向かって走っていた。
すると突然、崖の方から強い緑色の光が差し込んで来た。
光の眩しさに若い僧侶は足を止めた。
何だ、あの光は・・・・・・・・。
若い僧侶は崖下に目を凝らしてみると、緑色の光が何かを包み込んでいるように見える。
光はだんだん弱まり、その中に小さな男の子の姿が見えると、若い僧侶はさらに驚いた。
あの子供を、この光が助けたのか?
あの光は一体・・・・・・・・。
若い僧侶は光に向かって歩き始めていた。
光にだんだんと近づくにつれ、緑色の光は弱まり、何か別のものに変わろうとしていた。
若い僧侶が近づきながら光をじっと見ていると、光は緑色の長いものへと変化していく。
そして若い僧侶が崖下に着いた頃には緑色のドラゴンに変化していた。
背中に乗っている男の子をドラゴンがゆっくりと地面へ乗せるように置くと、若い僧侶は信じられないという表情で見ていた。
このドラゴンは一体・・・・・・・。
若い僧侶はドラゴンを見ていると、ドラゴンが若い僧侶の方を向いた。
ドラゴンの目が若い僧侶をじっと見つめている。
見つめられている若い僧侶が戸惑っていると、ドラゴンはゆっくりとその場で姿を消した。
消えた・・・・・・・・。
若い僧侶はさっきまでいたドラゴンの方を見ていると、地面で何かが動いた気配を感じた。
地面を見ると、男の子の体がゆっくりと動きだし、小さなうめき声のような声が聞こえてきた。
若い僧侶は男の子に近づいて声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
すると男の子は若い僧侶の顔を見た。
「・・・・・おじさん、おじさんは誰なの・・・・・・・?」
「ケガはないか?」
若い僧侶が男の子の体を見ていると、男の子はぼんやりと若い僧侶を見ている。
「どこか痛いところはないか?崖から飛び降りるなんてなんて無茶なことを」
若い僧侶は男の子の足や手を触って見ていると、後ろから声が聞こえてきた。
「こんなところでどうしたのですか?」
若い僧侶が振り返ると、そこには背が高く、緑色の短髪の男性の姿があった。