忘れ花

 



あるところに、仲良しの兄妹が住んでいました。
兄のマルセルはとても優しい性格で、妹のアナは可愛くてしっかり者。
マルセルはアナのことが可愛くて、何をするにもいつも一緒にいました。
アナはそんなマルセルの事を優しくて頼れるお兄ちゃんだと思っていました。



ある日、2人は町へお使いに行きました。
母親に頼まれて、あるものを買いに行っていたのです。
買物をするついでに、お菓子を買ってもいいよと言われた2人は喜んで町へ行きました。



お菓子屋でお菓子を選び、お店を出ると、空はオレンジ色の夕焼けに染まっていました。
町にいるのが楽しくて、すっかり遅くなってしまったのです。



「どうしよう。すっかり遅くなっちゃった」
マルセルが空を見上げていると、右隣にいるアナが言いました。
「お兄ちゃん、だったら近道して帰ろうよ」
「近道?」
「うん。この間お父さんと一緒にここに来た時に、帰りに通ったでしょう?」
言われたマルセルはしばらく考えていましたが、思い出しました。
「・・・・・あ、分かった。あの森の事?あの森を通って帰ろうって言ってるの?」
するとアナは大きくうなづきました。
「うん、まだ暗くないし、今のうちにあの森を通ればすぐお家に帰れると思うよ」
「分かった。じゃ暗くならないうちに行こう」
2人は森に向かって歩き始めました。



2人が森に入ってしばらくすると、1軒のお家がありました。
「あれ?こんなところにお家なんてあったっけ?」
マルセルがお家を見ながらふと立ち止まりました。



以前、父親と一緒に森を通った時にはお家がひとつもなかったからです。
2人は途中で道を間違えて、魔女のいるお家に来てしまっていたのです。



アナも立ち止まり、目の前にあるお家を見ながら言いました。
「さあ・・・・・この間お父さんと一緒に歩いた時は、なかったと思うわ」
「なかったよね?じゃこの間とは別のところを歩いているのかな」
「分からないわ」
アナが辺りを見回していると、ある場所を見て動きを止めました。
アナが見ている場所に、たくさんのきれいな花が咲いていたのです。



「わあ、見て!お兄ちゃん、きれいな花がいっぱい咲いてる」
アナの声が聞こえると、マルセルはアナの方を向きました。
お家の裏側にはたくさんのきれいな花が咲いています。
マルセルが黙って見ていると、アナはマルセルに向かって聞きました。
「ねえ、あのお花を見に行ってもいい?」
「え、でも早く帰らないと、もうすぐ暗くなるよ」
「ほんのちょっとだけ。お花を見たらすぐ帰るから、だから見に行ってもいい?」
マルセルの顔を見つめているアナに、マルセルはしょうがないなと思いながら言いました。
「分かった。見るだけだよ。見たらすぐ帰ろう」



2人はお家の裏側に入って行きました。
そこはお家の庭なのか、色とりどりのきれいな花があちこちに咲いていました。
アナは嬉しそうに声を上げながら、辺りに咲いている花を見て歩きまわっています。
嬉しそうにしているアナをマルセルは少し離れたところから見ていました。



しばらくするとアナはある花に目を向けました。
その花はきれいなピンク色をした、大きな花だったのです。
アナには、周辺に咲いている他の花よりもとてもきれいに見えました。



アナはその花の前まで近づいて止まりました。
「お兄ちゃん、見て!このお花とてもきれい」
アナは目の前にある花をじっと見つめながら、マルセルに言いました。
そして心を奪われたかのように、じっとその花を見つめています。



少し離れたところでマルセルはアナの様子を見ていました。
花の前で動かないアナに、マルセルはそろそろ帰ろうと声をかけようと思っていたところでした。
「アナ、もうそろそろ帰ろう。早く帰らないとお母さんが心配するよ」
マルセルはアナに声をかけますが、アナは動こうとしません。
「アナ、そろそろ帰ろう」
マルセルはもう一度アナに声をかけますが、アナは全く動きません。
「アナ!」
マルセルは少しイライラしながら、アナがいるところへ歩き出しました。



マルセルがアナに近づくと、アナはピンク色の花を見ながら言いました。
「ねえ、お兄ちゃん・・・・・・このお花きれいだから、お家に持って帰ってもいい?」
「ダメだよ」マルセルは首を大きく横に振りました。
「どうして?こんなにきれいなのに。それにお母さんにこのお花を見せたいの」
「ダメだ。もしかしたらこのお家に住んでる人が植えたかもしれないだろう?」
「なら、お家の人に持っていっていいか聞いてきて。このお花が欲しいの」
「ダメだよ。もう暗くなるから帰ろう。またここに見に来ればいいじゃないか」
「いや、今すぐ持って帰りたいの。帰ってお母さんに見せたいの」
アナは目の前にある花を持って行こうと、右手を花の茎に伸ばしました。



「ダメだよ、アナ!」
マルセルが大声で言ったその時でした。
「痛い!」
アナの右手が花の裏側に触れた途端、アナは大声をあげました。
花の裏側にはトゲがあり、アナはそのトゲに右手を刺されてしまったのです。



アナの右手の手のひらに刺さったトゲは、だんだんと中へと入っていきました。
「痛い・・・・・痛いよ・・・・・・」
アナは苦しそうに声を上げながら、その場に倒れてしまいました。
「アナ!」
マルセルは驚いてアナの顔を見ました。
アナの顔は真っ青になっていて、体が小刻みに震えています。
「アナ!大丈夫?アナ!」
マルセルは何が起こっているのか分からず、ただ名前を呼び続けることしかできませんでした。



数時間後。
あるお家から、1人の白衣を着た男性が出て行きました。
あれから偶然通りかかった人に助けてもらい、アナとマルセルはお家に帰ってきたのです。
アナが倒れたとマルセルから聞いた両親はすぐにお医者さんを呼びました。



しかし、お医者さんが来てもアナはよくなりませんでした。
アナがどんな病気なのか分からなかったのです。
部屋のベッドでアナが眠っているのを、マルセルはただ見ているしかありませんでした。



お医者さんがお家を出て、しばらくすると今度は別の男性がやってきました。
「マルセル」
眠っているアナを見ているマルセルに、その男性は声をかけました。
「・・・・・リアムおじさん、いやリアム博士」
「リアムおじさんでいいよ」リアムは微笑みながらマルセルの肩を優しく撫でました。
リアムは近所に住んでいる博士で、普段から仲良くしてもらっているのです。
「お父さんから電話があったんだ。アナが倒れたから急いで来てくれって。アナに何があったのかは
 マルセルから聞いてくれって言われてね」
「おじさん・・・・・アナは何の病気なの?家に帰ってからずっと眠ってるし、さっきお医者さんが来て
 診てもらっても何の病気なのか分からないって」
「落ち着いて」マルセルが座っていた椅子から立ち上がり、疲れたような顔で話すとリアムは言いました。
「まず椅子に座って。それから何があったのか、ゆっくりでいいから話をしてくれないか?」



マルセルから話を聞いたリアムは、アナの体を診ようとすると、アナの両目が開きました。
アナが目覚めたのに気がついたマルセルは声をかけました。
「アナ・・・・・気がついたんだね、アナ!」
するとマルセルを見たアナはぼんやりとした様子で言いました。
「ここは・・・・・あなたは誰なの?」



それを聞いたマルセルはショックを受けました。
「え・・・・?アナ、僕だよ。マルセルだよ。分からないの?」
「マルセル・・・・・?」
アナはぼんやりとマルセルを見つめています。
アナにはマルセルが誰なのか、全く分からないようでした。
「アナ、どうしたの?一体、どうしちゃったの?」
「分からない・・・・・・分からないわ・・・・・・」
アナはそう言った後、再び目を閉じてしまいました。



アナが眠ってしまうと、リアムはマルセルに聞きました。
「さっき聞いた話だけど、アナは大きなピンク色の花にさわったんだね?」
「うん」マルセルは大きくうなづきました「どうしてもその花を持って帰りたいって言って・・・・・」
「それで花をさわった時に、痛いって言ったんだね?」
マルセルが黙ってうなづくと、リアムは考えながら話し出しました。
「・・・・・これはもしかしたら、少し急がなくてはならないかもしれないな」



それを聞いたマルセルはリアムを見ました。
「急ぐって、どういうこと?」
「どうやらアナは、忘れ花のトゲに触れたかもしれない。花びらの裏側には大きなトゲがあるんだ」
「忘れ花って・・・・・?」
「魔女の家の裏庭にしかない、ピンク色の大きな花を咲かせる花だ。でも花を摘む時は気をつけないと、裏側にはトゲがあってね。
 そのトゲに刺されると、今までの記憶が消えてしまうんだ・・・・さっきのアナの様子から見て
 忘れ花のトゲに刺された時の症状と全く同じだ」
「そんな・・・・・・・」
「それにやっかいなのは、それだけじゃない。このまま何もせず3日経つと、もしかしたら死ぬかもしれない」



「えっ・・・・・!?」
それを聞いたマルセルはさらにショックを受けました。
「アナが・・・・アナが死んじゃうなんて。おじさん、どうしたらいいの?」
マルセルが今にも泣き出しそうな顔でリアムに聞きました。
「大丈夫だよ、マルセル」
リアムはマルセルの顔を見つめながら、続けてこう言いました。
「アナの記憶はまだ全部なくなった訳じゃない。でも何もしないと少しづつ記憶はなくなっていく・・・・。
 でもそれを防ぐ方法がある。それはアナに話しかけること。楽しかった思い出話をたくさん聞かせることだ」
「思い出話?」
「アナと一緒に町に行ったこととか、一緒に森で遊んだりとか。アナと一緒にやって楽しかったことを話すんだ」



それを聞いたマルセルは眠っているアナを見ました。
アナは何もなかったかのように、スヤスヤと眠っています。
「おじさん、その話ってアナが起きてる時に話すの?」
マルセルがアナの寝顔を見ていると、リアムはマルセルに向かって言いました。
「アナが起きてる時も寝ている時も、できるだけ多く話すんだ。できるだけずっとアナの側についていた方がいい」



マルセルはアナの寝顔を見つめながらも、まだ信じられないという思いでした。
アナを失ってしまうかもしれないという不安がマルセルの心を包み、再び泣き出しそうになった時、リアムがこう言いました。
「大丈夫だよ、マルセル。私が忘れ花に効く薬を作るから。薬ができたらすぐに持ってくる。
 だからそれまでの間、アナの側にずっとついているんだよ」
「おじさん・・・・・・!」
リアムがマルセルに近づいて、マルセルを抱きしめようとした時、マルセルは思わずリアムに抱きつきました。
声を出さずに泣いているマルセルに、リアムはマルセルの頭を優しく撫でながら、マルセルを抱きしめるのでした。



その後リアムは別の部屋にいるマルセルの両親にも、アナに話しかけるよう話しました。
そしてリアムはお家を出て行ってしまいました。



その日から、マルセルと両親は眠っているアナに思い出話を聞かせることになりました。
まず母親がアナの側に行き、椅子に座って話をしようとしますが、アナの顔を見た途端悲しい顔になって
何も話すことができずに泣き出してしまいました。



母親に変わって父親が話そうと、アナの側にある椅子に座りましたが
アナの寝顔を見た途端、悲しくなり、何も言えなくなってしまいました。



両親はリアムから、このまま何もしないと3日後には死んでしまうかもしれないと聞いていたからです。
両親は悲観的になり、3日後にアナが死ぬと思っているのです。



父親が部屋を出て行ってしまうと、マルセルはアナの側に行きました。
椅子に座り、アナの寝顔を見ながらゆっくりと話し始めました。
「アナ。今日は町に行って楽しかったね。アナの大好きなお菓子がいっぱいあって、どれにしようかって楽しそうに選んで
 ・・・・・・さんざん迷って、アナは最初に選んだお菓子を買ったっけ。それですっかり遅くなっちゃって・・・・・・」



マルセルはここまで話すと、アナが目を開けないか気になりました。
アナは目を開けることなく、眠っています。



マルセルは話を続けました。
「アナがもっと早くお菓子を選んでいれば、遅くならなくて済んだのに・・・・・・あの森の中を通らなかったら
 こんなことにはならなかったのに・・・・・・森の中を通るのを止めておけばよかった・・・・・・」
マルセルは話をしているうちにだんだんと悲しくなり、両目からは涙が溢れてきました。
泣き出したマルセルはこれ以上話を続けることはできませんでした。



次の日。
マルセルがアナの様子を見に行くと、アナはベッドで眠っていました。
ただ昨日よりも顔色が悪く、やつれているように見えました。



マルセルがベッドの側にある椅子に座ったとたん、部屋に誰かが入ってきました。
「リアムおじさん・・・・・・」
「おはようマルセル。アナの様子はどうかな?」
リアムはマルセルに声をかけ、アナの顔を見にベッドに近づきました。
アナの顔を見た途端、リアムの顔の表情が暗くなりました。
「・・・・昨日より顔色が悪くなってる。それにやつれているようだけど、アナはあれから食事はとってるの?」
するとマルセルは首を振りながら
「スープや水を飲ませてるけど、それ以外は食べようとしないんだ・・・・・・」
「そうか・・・・昨日言った通り、アナに話しかけたりしてるのか?」
「してるよ。でも辛いんだ」マルセルは下を向きながら続けました。
「楽しい話をしようと思っても辛いんだ。もうすぐアナが死んじゃうと思うと・・・・・」



うつむいているマルセルにリアムは言いました。
「まだアナは死ぬって決まったわけじゃない。今薬を作っている。それをアナに飲ませればきっとよくなる」
「でも・・・・アナ、昨日より悪くなってるみたいだし。おじさん、薬を飲めば本当によくなるの?」
「ああ、よくなるよ」リアムはマルセルの側に行くと、マルセルの頭を優しく撫でました。
そしてマルセルの顔を覗き込むように見ながら言いました。
「薬ができるまでは、アナの記憶がなくならないように、いっぱい楽しい話をするんだ。そうすればアナはよくなっていく。
 悲しい顔をしたり泣いたりしていると、それがアナに分かってしまって、悪くなってしまうかもしれないからね。
 あきらめちゃだめだよ、マルセル」
「・・・・・うん、分かった」
マルセルが小さな声で答えると、リアムはマルセルの頭を優しく何度も撫でるのでした。



それからマルセルはできるだけアナの側にいるようにしました。
アナが目覚めると笑顔で迎え、お腹が空いてるのか、食べたいもの、飲みたいものはないかをまず聞きました。
そして楽しかった思い出話をするようにしました。



アナが眠っている時でも、マルセルは楽しい話をして聞かせました。
話を終えて、静かになるとマルセルは悲しくなって泣きそうになりますが、リアムにアナに悲しい顔を見せてはいけないと
言われ、アナの前では泣かないと我慢しました。



何回か繰り返しているうちにアナの様子が変わってきました。
アナの顔色がだんだんとよくなってきたのです。
そして何度目かアナが目覚めた時、マルセルの事を思い出したのかお兄ちゃんと呼んだ時がありました。
その時はマルセルはアナの記憶が戻ったと喜びましたが、次に目覚めた時はまた忘れてしまったのか、
マルセルを見ても何も言わずぼんやりしている時がありました。
アナの記憶には波があるようでした。



アナが忘れ花のトゲに刺されてから、3日が過ぎました。
マルセルはアナが眠っている時も、起きている時も一緒にいて、楽しい話をしてアナに聞かせました。
アナの記憶には相変わらず波がありますが、マルセルの事をお兄ちゃんだと分かるようになってきました。



夕方になり、マルセルはアナに話をして聞かせると、椅子から立ち上がりました。
アナはベッドで眠っています。
マルセルは眠っているアナを見ながら、部屋をそっと出て行きました。



マルセルはリアムが作っている薬のことを気にしていました。
今日までにその薬を飲まないと、アナは死んでしまうかもしれないからです。
マルセルはいつリアムが来るのか気になって仕方がありません。



部屋を出たマルセルは玄関へ行きました。
ドアをそっと開けて外を見ますが、外には誰もいません。
マルセルは外に出て辺りを見回しますが、辺りには誰の姿もありませんでした。



マルセルはあきらめてドアを開けると、お家の中へと入って行きました。



マルセルが再びアナのいる部屋に戻ると、マルセルは部屋の異変に気がつきました。
ベッドで眠っているはずのアナがいないのです。
「アナ?」
マルセルは辺りを見回しますが、部屋にアナの姿はありません。
「アナ?どこにいるの?アナ!」
マルセルは焦りながらアナを探しに部屋を出て行きました。



マルセルは両親にアナがいるか聞くと、両親も驚いてアナを探し始めました。
3人で部屋中を探しても、アナはどこに行ったのか見当たりません。
3人が玄関で集まっていると、そこにようやくリアムがやってきました。



「リアムおじさん!」
玄関に入ってきたリアムの姿を見た途端、マルセルは声をあげました。
リアムは中に水のような液体が入った銀色のバケツを右手に持ったまま、3人の姿を見ました。
「・・・・薬を持ってきた。何かあったのか?」
「アナがいなくなったんです。部屋中探してもいなくて」と母親
「アナがいない?一体いつから」
「僕がさっき、ほんの少しの間部屋から出ていたんです。戻ったらいなくなってて」とマルセル
「もしかしたら外に出たかもしれない。早く見つけないとまずいことになるかもしれない・・・・・」
「まずいこと?」
「3日経つと忘れ花に触れた人達を迎えに来るんだ。もしかしたらアナは迎えに来た人達に連れられてしまったかもしれない」
「何だって・・・・!」と父親
「それで、アナは一体どうなるの?」とマルセル
「迎えた人達はみんな列車に乗せられるんだ。あの世行きの列車だ・・・乗る前に見つけないとアナは死んでしまう」
「何だって!」
「アナが列車に乗る前に見つけるんだ、急ごう!」



4人はアナを探しに外へと出て行きました。
二手に別れ、マルセルとリアムがアナを探していると、マルセルは空に何かがいることに気がつきました。
オレンジ色の空に、真っ黒い列車が何両もの車両を引き連れて飛んでいるのです。
マルセルがその列車を見ていると、その隣でリアムが声をあげました。
「あの列車・・・・・あの列車だ!アナを迎えに来る列車は」
「あの列車がそうなの?アナがまだ見つかっていないのに・・・・・アナ、一体どこにいるの?」
「きっとどこかで列車を待ってるに違いない。列車がどこで降りるのか、後をついていってみよう・・・・・
 もしかしたらアナが見つかるかもしれない」
それを聞いたマルセルがうなづくと、2人は列車の後を追い始めました。



しばらくすると2人の目の前に崖が見えてきました。
黒い列車が崖の切れ目のところに向かって降りて行きます。
「崖のところに降りて行くぞ・・・・・・誰かいるのか?」
リアムが列車を見ながら崖に目を移すと、少し先に見覚えのある1人の女性の姿がありました。
マルセルはそれが誰かが分かると声をあげました。
「あれは・・・・・・アナ!」



「アナ!」
マルセルがアナがいるところへ急いで行こうとすると、後ろからリアムが声をかけました。
「マルセル!」
マルセルが後ろを向くと、リアムは持っていたバケツをマルセルに差し出しました。
「これを持っていけ、薬だ!アナに飲ませるんだ」
「うん!ありがとう、おじさん!」
マルセルはバケツを受け取ると、両手で抱えながら、アナがいるところへ走り出しました。



一方、崖の切れ目では黒い列車がアナの目の前にやってきました。
列車の車両には、たくさんの人達が乗っているのが見えます。
列車が止まり、アナの目の前で列車のドアが開かれました。



アナはゆっくりと列車に近づきました。
そして列車に乗ろうとした時、後ろから声が聞こえてきました。
「アナ!」



アナが後ろを振り向くと、そこにはマルセルがバケツを抱えて走ってきていました。
「待って!行かないで、アナ!」
マルセルはアナに向かって大声で叫びながら、だんだんとアナに近づいてきています。



アナはマルセルが近づいて来るのをただぼんやりと見ていました。



もう少しでアナがいる場所へ着くという時でした。
マルセルの足元に大きな石が地面から出ていたのです。
それに気がつかず、マルセルはその石に足をとられてしまいました。
「あっ・・・・・・・!」



驚いたマルセルは転んでしまいました。
その時、両手に抱えていたバケツがマルセルの両手から離れてしまいました。



バケツは少し先にいるアナの方へ向かって行きました。
バケツより先に、中に入っていた液体の薬がアナに向かって飛んで行ったのです。



アナは薬を頭から被り、すっかり濡れてしまいました。
バケツはアナの側に転がっていました。



転んだマルセルが起き上がりました。
そしてアナの姿を見ると、そのままアナのところへ駆けて行きました。
「アナ!」



マルセルはアナに抱きつきました。
「嫌だ・・・・・列車に乗らないで。ずっと側にいて、アナ・・・・・・・」
マルセルはアナを列車に乗らせまいと、さらに強くアナを抱きしめました。



その時、アナの右の手のひらから、刺さっていたトゲがポロっと取れてしまいました。
トゲが地面に落ちた途端、アナがゆっくりと声をあげました。
「ここは・・・・・?」



それを聞いたマルセルはアナの顔を見ました。
「アナ・・・・?」
マルセルの顔を見たアナは聞きました。
「お兄ちゃん、ここはどこ?どうしてこんなところにいるの?」
「アナ・・・・僕が分かるの?」
「うん。マルセルお兄ちゃん。どうして私達こんなところにいるの?」
「アナ・・・・・!よかった、本当によかった・・・・・!」
アナの記憶が戻ったと分かると、マルセルは再びアナを抱きしめました。



黒い列車はドアを閉めると、すぐに走り始めました。
列車は空に向かって上がっていく途中で、すっかり消えてしまいました。



マルセルがアナを連れて歩き出そうとした時、リアムが走って2人のところにやってきました。
そして記憶が戻ったアナをリアムが背中に背負い、マルセルが落ちているバケツを拾うと、お家に帰ろうと歩き始めたのでした。



それからしばらく経ったある日。
マルセルとアナは再び、母親のお使いで町へ行くことになりました。
「じゃ、行ってきます」
マルセルがアナを連れて玄関から外に出ようとすると、母親が出て来ました。
「あまり遅くならないように、用事が住んだら早く帰るのよ」
「はーい」
アナが元気に答えると、母親はアナの顔を見ながら言いました。
「それから、遅くなったからって森を通っちゃだめよ。いいわね?」
「うん。じゃ行ってきます」
マルセルはアナを連れて外へと出て行くのでした。