星の鏡シリーズ番外編 森のこもれび2 production notes



毎日暑いですが、いかがお過ごしでしょうか。
関東も梅雨明けしましたね。
家の周りは朝からセミの鳴く声が聞こえてきています。
すっかり夏ですね。



今回は星の鏡シリーズ番外編の2回目です。
タイトルは「森のこもれび2」と、前回と同じタイトルです。
別のタイトルを考えてもよかったんですけど、もうめんどくさかったっていうのが正直なところ。
3回で終わる予定なので、タイトルは変えずそのままでいきます。



今回は和尚がユリウスとカレヴィに出会った出来事がメインになっています。
前回、緑色の服に身を包んだ男性が出てきたところで終わっていますが、それがカレヴィです。
カレヴィの目を見た途端、若い僧侶(和尚)はユリウスを救った緑色のドラゴンの目と似ていると気が付きます。
カレヴィが人間ではないのではとさっそく疑うのですね。



そこで若い僧侶はカレヴィに森に住んでいるのであれば家まで連れて行ってくれないかとお願いします。
そして連れて来られたのが山の洞窟。
若い僧侶はユリウスにどうして崖から飛び降りたのか理由を聞きますが、そこで明らかになったのは
ユリウスの置かれていた家庭環境でした。



ユリウスの今回の設定ですが、最初は両親は戦争で亡くなったことにしようかと考えていました。
でもここでのユリウスは子供なので、戦争がどんなものなのかまだ分からないんじゃないか?っていう疑問があり
おじさんとおばさんから「両親はいない」と言われたことにしました。
その後カレヴィからユリウスの置かれていた環境を知るのですが、親戚から冷たくあしらわれているという設定は
即興で考えました。



最近思うのですが、育児放棄や虐待する親が多いと感じます。
生活が苦しいから、仕事で忙しいからっていう理由は理由にはならないです。
そんな理由だったら最初から子供を産むなと思うのですが、家庭それぞれ事情がありますから一概にそんな事は言えませんが
最初から子供を育てる気がなければ避妊をするとか何か対策をしていただきたいなと思います。
自分の行動や行為に責任を持たない親が多くなったなとも思います。



またこの数年、子供が親を、親が子供を殺すという事件が多いですよね。
最近では夫が妻を40年近く介護していたあげく、殺してしまった事件の裁判のニュースがありましたが
(これはこれで私も親の介護をしているので、殺した犯人の気持ちも分からなくもないです)
特に介護絡みの事件は介護している側が誰にも相談できず、1人で悩みや不満を抱え込んで犯行に及んでいるケースが多いです。
私も親が認知症になり最初は悩んでいましたが、役所に相談して多少は介護による負担が軽くなりました。
最近多くなっているヤングケアラーもそうなのですが、周りの人達に迷わず相談してみることをおすすめします。
ちなみに私は親戚には親の病気の事は言ってません。言ったところでどうなるというわけでもないので(^^::
親戚とはそんなに仲良くないので、言ったところで「それは大変ね」って言われて終わりだと思うので。
それにやっかみや過干渉が多くなると思うので、逆にストレスになるだけですので。



コロナ禍が落ち着き、だんだんと人とのふれあいが増えてきたと思いますが
人としてのふるまいというか、人の心がない人達が多くなってきたような気がします。
何かあればすぐ攻撃対象としてみなし、攻撃する。
攻撃して人を傷つけ、攻撃対象がいなくなるまで攻撃を続ける。
そんなことをして何になるんでしょうかね。自己満足のためでしょうか?
人の気持ちが分からない人々が増えているような気がしてなりません。



でもそんな社会になったのは、そういうふうにした環境や政治なんだと思います。
相手の立場になって考え、相手の気持ちになって行動する。
今の学校では教えないのでしょうか?
私が小さい頃は道徳という授業で学んだのですが、今は道徳という授業はないのでしょうかね・・・・・。



最近ミニシアターで「ぼくらの哲学教室」という作品を見ましたが、アイルランドの実在する小学校の校長先生が
生徒達が問題を起こすと直接1対1で話をしたり、哲学の授業をして生徒達と意見を交わしたりしていました。
日本の学校は授業をするばかりで、先生が生徒に向き合っていないんじゃないか?
生徒と向き合っているとしても1部の生徒だけで、全ての生徒と平等に向き合っていないんじゃないか?
日本の学校もこの映画の学校のように、みんなが意見を言い合う、先生が本気で全ての生徒に平等に向き合うようにしなければ
いけないんじゃないか?と感じました。
日本の学校って、生徒側は授業って受け身のみで、意見を言い合うってことはまずしないっていうイメージです。
私が学生の頃はそうでした。
今はもしかしたら少し変わってきているのかもしれませんが、小学校から哲学や道徳の授業でみんなが意見を出して、相手がどう
思っているのかを知って、相手を思いやる心を育てるってことをしなければ、今後もっとひどい事件が起こるのではないかと思います。



大きく話がそれてしまいましたので戻します。
カレヴィからユリウスの話を聞いた若い僧侶はカレヴィに何者なんだと問い詰めます。
カレヴィは素直に人間ではないと認めますが、本当の姿は明かしません。
若い僧侶はカレヴィは森の守り神ではないかと思いますが、カレヴィの他にもいると知った若い僧侶は
森の主と呼ばれるものに会ってみようとカレヴィに呼んでもらうように頼むのでした。



今回はどこで区切ろうかなと思っていましたが、とりあえずきりのいいところで終わることにしました。
カレヴィを森の主にするつもりは最初からなくて、カレヴィよりもっと上の、格上というか
世界の全てを全うしている、得体の知れないものを登場させようと考えています。
それはこの番外編を書こうと思った時から決めていて、まだ今回の時点ではどう表現するかっていうのは
決めかねていますが、ホラーっぽくはしません。怖い存在にしてしまうのは違うなと考えているので。



話は前後しますが、ユリウスが眠れないと2人の前に現れ、カレヴィとユリウスが一緒に洞窟に入り
カレヴィがユリウスを抱きしめた途端、緑色の光が出てきますが、この辺りも即興で考えました。
ユリウスは一瞬驚くのですが、緑色の光を見ているうちに心が安らいでくるのと、カレヴィの温かい体温と
いいにおいを嗅いでいるうちにすっかり安心して寝入ってしまうんですね。
緑色を見ていると、色の濃淡にもよるんですけど、なんだか心が落ち着きませんか?
特に森にある木々の葉の緑や、日本茶の緑茶の粉末を見るだけでもなんだか落ち着きます。
また遠くにある自然の緑を見ると、疲れ目の回復にもなるそうですが、最近は緑を見てないですね。



ここで今回の曲の話をします。
今回もTINÖRKS(ティノークス)というバンドの曲を使っています。
前半は前回でも使った「Komorebi-light of piano-」ですが、後半は「森のページ」を使っています。
「森のページ」はユリウスが夜になり、眠れないと2人のところへ来たところから最後までの部分です。
この曲を聴いていて、思ったのが夜になって子供が眠れないところに母親が来て、夜は怖くないよと言いながら
母親に抱かれながら、子供がゆっくりと眠っていくというイメージでした。
そこから夜は怖いと思っているユリウスをカレヴィが優しく介抱しながらユリウスを寝かしつけるというシーンに
つなげました。



今回、トイヴォと和尚のシーンは中盤のところだけでなんだか寂しい感じでしたが
最後に付け加えようかなとも考えたのですが、長さも前回と同じくらいになっていたので止めました。
次回は最初にトイヴォと和尚のシーンを入れようかなと思っています。
次回は最終回の予定ですが、最後は一応どうなるか決めてはいますが、どうなるのでしょうか。



また今月書く予定だった病院シリーズですが、次回に延期になりました。
次回、8月は夏休みでまとまった休みがあるので、その時に書こうかなと思ってます。
病院シリーズも次回が最終回、この番外編も次回が最終回(^^::
どうなることやら。



今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もお楽しみに。