星の鏡シリーズ番外編 森のこもれび3 production notes
相変わらず暑い日々が続いています。
8月もお盆の時期で、夏休み期間中の方が多いと思います。
今年はコロナ禍が落ち着いて、ようやく花火大会とかのイベントが通常開催できるようになって
いつも通りの夏がやってきたなと思います。
今回は星の鏡シリーズ番外編の最終回です。
最終回・・・・実はかなり苦戦しました(^^::
最初は8月上旬には終わる予定でしたが、だんだんと遅れてしまいお盆の時期になってしまいました。
体調がすぐれなかった時があり、スローペースだったので、それが最後まで響いた感じです。
さらに夏休みは初日から3日間は予定が入っていたので、書く時間があまり取れませんでした。
後半は空けるようにしたので、後半でようやく書いたという感じです。
今回は最終回ということで、久しぶりに登場させるキャラを追加しました。
まずはリンネアです。和尚の手伝いに来ている女の子ですね。
山神様は登場させようか一瞬考えましたが、止めました。
山神様との散歩から帰っていたリンネアはトイヴォと再会します。
当初のプロットではリンネアが途中でトイヴォと一緒に和尚の話を聞く設定にしていましたが
和尚の話が途中からになってしまうので、リンネアからすると聞いても話がよく分からないだろうと思い、止めました。
そこで山神様の食事の世話があるから、と理由をつけてリンネアにはいったん退場してもらうことにしました。
その後和尚の話の続きです。
森の主に会いに行くため、カレヴィが若い僧侶(和尚)とユリウスを連れて、山の中の鍾乳洞へと入って行きます。
ここが今回一番頭が痛かったところかな(^^::
森の主をどういった形にするかというのはこの話を書く前からうっすらとイメージはあったのですが
いざ書くとなると、どう表現したらいいのか戸惑ってしまい、スローペースになりました。
あまりはっきりとした形にしてしまうといけないような気もしますし、あまりにもぼんやりとした表現だと分からないだろうし
難しかったですね。
森の主のイメージというか、登場から立ち去るところまでどうしようかと考えて、ある曲から思い起こすことにしました。
今回の曲はTwitter(現在はXですが)でも書いた通り、ごちゃ混ぜです(^^::
今回もTINÖRKS(ティノークス)というバンドの曲を使っています。
森の主が登場するシーンはTINÖRKSの「Fullerene-tonelico mix-」と「Quark」をミックスして使いました。
ミックスしただけでは全く何のことだか分からないのでもう少し詳しく書くと、鍾乳洞の水の落ちる音や、
森の主のそれぞれの光の表現は「Fullerene-tonelico mix-」を聴きながら思いつきました。
「Quark」は森の主の動きと、カレヴィの本当の姿である緑の光と、他の光より大きな白い光が点滅しながら会話をしているように
見えるシーン、あとは森の主が消えていくシーンで使っています。
「Quark」の最後のところは、若い僧侶が倒れ込んで眠ってしまうところまでも使っています。
最後まで書いて、見直しの際にタイトルが「森のこもれび」なんだから、森の主のそれぞれの光の表現を森のこもれびみたく
見せるシーンを書いたらいいんじゃないかと思ったのですが、それだとあまりにもきれいすぎるので書きませんでした。
森の主はくっきりとした形は見せず、光という表現にしました。
森の主だから緑をベースにした光にするということも考えられるのですが、森って木々の緑だけじゃないですよね。
大木や植物は太陽からの光や雨の水、それに土がないと育ちませんよね。
なので光も緑はもちろんですが、水を表現する青や太陽を表現する赤、土を表す茶色や黒、雨雲をイメージしたグレー・・・・。
それらが集まって、移動したり点滅しながら成り立っているのを表してみました。
その後、若い僧侶の夢の中に御師匠様が出てきます。
最初は考えてなかったシーンですが、思いつきで入れてみました。
御師匠様が言っていることは、ラストの巻物の絵のシーンにつなげるようにしました。
先にその巻物の絵のことを書いてしまいますが、この巻物の中身をどうするかっていうのもかなり考えました(^^::
というのも最後をどうするかっていうのをギリギリまで考えていなかったんです。
私としてはいつもは最後を決めてから書いているので、このパターンはめったにないんです。
一番最初、御師匠様が若い僧侶に巻物を渡すシーンがありました。
和尚の話を聞いているトイヴォは、その巻物が何なのか気になるはずです。
そこでトイヴォには巻物のことを和尚に聞いてもらい、和尚に巻物を取りに行かせました。
そして寺院の御師匠様から受け取った巻物なので、宗教的な絵にしようと考えました。
それで考えたのが「輪廻転生」です。
「輪廻転生」の絵はググれば実際に出てきます。
「輪廻転生」とは和尚が話していますが、死んだ魂がこの世に何度も生まれ変わることです。
ヒンドゥー教や仏教で用いられている用語です。
命があるもの、人間や動物が対象となりますが、生きている間(この世)の行為の内容によって
死んだ魂が次はどこに行くのかが決まるということになってます。
この世で良い行いをすれば、次に生まれ変わる時はまた人間になるかもしれないし、動物かもしれない。
悪い行いをすれば地獄に落ち、ひどい目に遭うということです。
そこで御師匠様の言葉がつながるわけです。
自分がした行いは、全て自分に返ってくる。
たとえすぐでなくても、神様は全てを見ていて、死んであの世に行った時に神様の最後の審判が下るわけです。
自業自得という言葉がありますが、この意味は「自分のした善悪の行為で、みずから苦楽の結果を招き受けること」。
悪いことをすれば、その分自分にとって悪いことが返ってくるのです。
最近、自分本位というか、自己中心的な行いをしている人が多いと感じています。
自分さえよければいいっていう考えの人。
本当にそれでいいのでしょうか?
自分さえよければ、他人を平気で傷つけたり命を奪ったりしてもいいのでしょうか?
悪いことをすれば、必ずその分は自分に返ってきます。
人の心がない、本来の人間らしさを感じられない人が多くなったなと思うのは私だけでしょうか?
そしてそれは日本だけではなく、世界中の人々が人間らしさがなくなっているのではないかなと感じています。
人としてというか、人間らしさの劣化というのを感じています。
今回はシリーズ番外編なので、もう少し気楽な話というか、ちょっとした楽しい話でも書こうと思ってましたが
上記のようなことを感じ、警告という意味を込めて今回の話を書いてみました。
また一方で、最近自分らしさというか、各個人が持つ「個性」のない人が多いとも感じています。
自己否定というか、みんなに合せていればいいという考えの人が多いのかなと。
このままだと自分らしさを失い、みんな一緒であればそれでいいっていう同調圧力がさらに強くなり、
ロボット化した社会になっていきそうな気がしてなりません。
でも、そんな社会に誰がしたのかというと、まず国家や政治がそうしたっていう意見が出ると思いますが
気が付かないうちにいつの間にかそうなっていたっていうのが本当のところではないでしょうか。
そして自己主張が強く、目立つ人はまっさきに叩かれる。
今もそうですが、さらに生きづらい社会になっていくのではないでしょうか。
個々の人はそれぞれ違っていて当たり前なんです。
それをまっさきに否定してくる人は、人としてどうなんでしょうかね?
もしそんな人がいたとしたら、相手にしないで避けましょう。
自分らしさを認めてくれる人を大事にして、互いを認め合って、お互いを思いやる優しい心を持っていけば
優しくて思いやりのある社会になっていくのではないでしょうか。現実はなかなか難しいですが。
話がそれましたので戻します。
御師匠様の巻物のもう1本は、シリーズ本編にも出てきた特殊文字にしました。
「輪廻転生」の1本だけでよかったんじゃないかと今更後悔していますが、もう遅いので(^^::
トイヴォは本編での旅の途中、和尚から手紙をもらっていますが、手紙の中に特殊文字が書いてあって
トイヴォはその文字が読めず、何て書いてあるのか興味があるということにしました。
言われた和尚は一瞬戸惑いますが、少しづつ教えていくことにして軽く終わらせていますが
特殊文字まで覚えてしまうと、トイヴォが和尚の後継者になる可能性がさらに高くなりますよね・・・・・。
和尚の策略にはまっているトイヴォというニュアンスを残しつつ、軽く終わらせてます。
最後にヴァロが登場し、トイヴォと再会します。
さらにリンネアが再登場し、台所に移動して今回はおしまいです。
今回はいつもよりスローペースで、なかなか終わらなくて苦しかったです。
最後は少し長くなりましたが、終わってよかった(^^::
もう当分は番外編もやらなくていいかな。
続編はもちろん、書く気はまったくないです。
たとえ書くとしても、次は主人公はヴィルホになるのかな・・・・・・。
ヴィルホ編だと、本編よりも長くなる可能性が大きいので、避けてますが。
次回はがらっと変わって、病院シリーズの最終回です。
まだネタがはっきりと決まっていない(^^:: 大丈夫でしょうか?
しかも8月中に終わらせる予定なので、大丈夫でしょうか?
そして9月からは何を書くのか、全く考えていません(^^:: 困ったもんだ。
次回はどうなるのかわかりませんが、お楽しみに。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。